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黒姫山(くろひめやま)



飛騨山脈(北アルプス)の北端で日本海に最も近く高い山が黒姫山(1221メートル)です。
黒姫の名前を持つ山は近くに三山あり、ここの青海黒姫山、刈羽黒姫山(980メートル)、信濃黒姫山(2053メートル)です。

黒姫山は、化石を含む地層で「青海石灰岩」と呼ばれ、全山石灰岩からなる独立峰で、日本三百名山に数えられます。
南洋のプレートが移動して運ばれてきた3億年前のサンゴ礁で出来上がった石灰岩の山です。
黒姫山の北側山腹には、日本で最深の白蓮洞(びゃくれんどう)をはじめとする竪型洞窟があり、カルスト地形はマイコミ平という名称で糸魚川ジオサイトに登録されています。(入山規制があり年間を通じて定められた日数のみ観光可能です)


昔から、奴奈川姫ゆかりの地として山そのものが神体化され、地元民から崇められてきました。
黒姫山は日々の生活の中に溶け込んでおり、今日の様子はどうだろうかと仰ぎ、天候の判断材料にしている山でもあります。


山頂はゴツゴツの石灰岩で歩きにくく、落雷で破壊された祠が再建され、近年ヘリコプターで移設されました。




山頂から見渡せる糸魚川市の町並みは日本海沿いに広がり、非常に美しい景色です。


黒姫山への登山ルートは、現在は「清水倉ルート」のみです。所要時間は登り4時間、下り3時間で、道は細く、ロープが連続する急登です。
・携帯電話(NTTドコモ)は山頂からのみ通信可能です。
・クマ・イノシシ・サル等の野生動物が出没します。鈴など音のでるものを携行してください。
・水場は標高800mの「金木平」にあるが、夏7月には涸れます。飲料水は必携です。


石灰岩がもつ化学成分を利用して化学工業が発達し、大正5年に電気化学工業株式会社青海工場が開設され農業用肥料の石灰窒素の生産を開始します。
さらにアセチレン系有機化学の分野、セメント分野、スチレン系事業、機能性樹脂、樹脂加工製品、電子・機能材料、特殊混和材、医療医薬品など多岐にわたる研究開発で成長したのが現在のデンカ株式会社です。
姫川河口に、姫川港が作られるようになったのもセメント工場の影響が大きいでしょう。


そもそもの原資は黒姫山の石灰岩であり、切羽も徐々に拡大され、山容の変化が際立ってきているのが心配です。


私たちの生きている間は問題にならないのかもしれません。でもいつかそのしっぺ返しがきます。
それは、排気ガス、地球温暖化、ゴミの廃棄や焼却、放射性物質の廃棄も同じこと。リサイクルが効かないことは破壊ですよね。

今日もいい一日だった、見上げると黒姫山もゆったりしている。
わが町の黒姫山はいつも堂々と見守ってくれています。


まるで「山」という漢字にぴったりの山容は少し海側に傾いているかのように見えます。
祠のある最高峰1221mは向かって左側。中央と右側の頂きへの道はありません。


大相撲の元関脇「黒姫山」の田中秀男(たなかひでお)さん(2019.4.25逝去70歳)は、立ち合いの強烈なぶちかましからの押し相撲で「デゴイチ」の異名を取っていましたが、新潟県西頸城郡青海町(現糸魚川市青海町)の出身です。


また、平成三十年五月場所を初土俵とする現在境川部屋の「田中山」の田中虎之介(たなかとらのすけ)さんは黒姫山のお孫さんにあたるとか。
将来は四股名を黒姫山にするかもしれません。
糸魚川は「相撲の町」としても有名です。能生中学校相撲部や新潟県立海洋高校相撲部は全国大会出場レベルの強さですし、昔ながらのこども相撲大会が毎年開催され、女子の部の取組みもあったり、大相撲をウンチクされるお年寄りファンも多いようです。
夏巡業で大相撲糸魚川場所が開催されることもあったり、この地は熱血の町なのです。


糸魚川市地図(黒姫山)


栂海新道

登山愛好家ならば耳にしたことはあるでしょう「栂海新道(つがみしんどう)」
北アルプスと日本海をつなぐ登山道です。
ジオパーク活動が盛んになり「糸魚川ユネスコ世界ジオパーク」では「栂海新道ジオサイト」として登録されています。

栂海新道マップ


この登山道の特長は
・標高3000メートルの白馬岳から、尾根をつなぐ縦走路で、標高0メートルの日本海親不知海岸までつながります
(山を迂回する登山道は崩落が多く管理も大変なので、尾根を繋ぐ高低差の激しいルートになっています)
・標高差が織りなす400種類以上の植物とライチョウなどの多種の動物が生息しています
・古生代ベルム紀からら中生代ジュラ紀、中生代白亜紀までの地形地質が露出している貴重な登山道
・1971年に全線開通した新しい登山道で、環境破壊されていない自然豊かな場所
・長距離(27km)であり、起点と終点が離れているので入山者が少ない
・新道高位地点「吹上のコル」から登下山するのに1日を要すため、一般登山者の行程は二泊三日になります
・中間地点の栂海山荘は無人の山小屋です、登山者には自炊能力が要求されます

栂(つが)の木が多く日本海につながる登山道として「栂海新道」と名付けられたといいます。


さわがに山岳会を設立した故小野健(おのけん)氏が中心となり、1966年より新道伐開を開始し1971年に全線開通しました。
栂海山荘近くには、開祖小野健氏の標が建てられています。


2020年7月18日、犬ケ岳~サワガニ山間で崩落があり17メートル登山道が無くなりました。
開通以来初めての通行止となりましたが、2021年6月3日富山県側に迂回路が完成され通行可能になっています。
岩に絡みつく石楠花の枝を渉り行く状態で「空中散歩」をお楽しみくださいとのことですが、枝の下は谷!通行には十分注意が必要です。


2021年は新道開通して50周年目になります
糸魚川市フォッサマグナミュージアムでは7/22~9/26まで
「栂海新道開通50周年記念 アルプスと海をつなぐ栂海新道 大縦走路の軌跡」
の特別展を開催しています。(特別展の見学のみの場合は入場無料)


その開拓の歴史と登山道の特長が紹介展示され、記録マニアであった小野健氏のユーモアある手記や、使用されていた道具の数々を見ることができます。
また、大町市立山岳博物館からお借りした特別天然記念物「ライチョウ」の剥製も展示されています。
特別天然記念物の移動には国の許可が必要です。「ライチョウ」を目の前で見ることができるのは非常に稀なことです。

展示会場入口には、山脈を背景に等身大の小野健氏が立っているので、横に並んでスナップ写真を撮影することもできます。
(小野健氏は随分長身だったようで横に立つと少しアンバランスかな?新道開祖のバイタリティを分けてもらうつもりで記念写真をどうぞ)
是非この機会に入館閲覧してみてください。


「栂海新道開通50周年記念 アルプスと海をつなぐ栂海新道 大縦走路の軌跡」パンフ資料








------ 栂海新道スナップ(2021.8.7-2021.8.9)------
朝日小屋


新道高位地点「吹上のコル」


アヤメ平


文子の池から朝日岳方面を望む


サワガニ山の頂上でアゲハ蝶


北又の水場(登山道から往復10分かかる谷間にあります)


犬ケ岳


栂海山荘


夜明け前の栂海山荘から、黒姫山と糸魚川の街灯り


菊石山


白鳥避難小屋


坂田峠


親不知登山口


親不知・日本海


稜線の登山道(犬ケ岳付近からサワガニ山方面を望む)




------------------- 新潟日報掲載「青嶺の守り人たち 糸魚川・栂海新道開通50周年」 2021.8.12~8.14








直指院と良寛碑

この北陸の地は仏教伝来以前から古来の神々が信仰されており、とくに新潟県は神社数が全国第一位です。
糸魚川市内には多くの寺社があり、市街の中央には宗派の異なる寺社がいくつも隣り合って建っています。
寺社巡りやその成り立ちに興味がある方には面白い土地だと思います。

糸魚川市の町並み、古くは糸魚川駅の北側(旧国道沿い)に細長く広がっていました。
現在の糸魚川駅北口を降りて、西に5分も歩くと「直指院(じきしいん)」の山門があります。



単伝山直指院は曹洞宗の古刹(こさつ)で創立は慶長三年(1598年)。
山門を入ってすぐ右手に自然石を掘った大きな石碑が建っています。



良寛禅師の有名な詩碑で

余将還郷至伊東悲駕波不預寓居千客舎聞雨凄然有作、
一衣一鉢裁随身
強扶病身坐焼香
一夜粛々幽窓雨
惹得十年逆旅情


  碑の裏には、「昭和五年 為良寛禅師百年忌記念 木蔭会建之 柏崎小林群鳳刻」
とあり、良寛の百年忌に御風の主宰する木陰会が建てたものである、とあります。



詩歌の説明板には
曹洞宗の円通寺(岡山県倉敷市)で修行ののち帰郷の途中、糸魚川直指院に宿を取ったときに病にかかり雨を聞き凄然として作った詩であり、相馬御風もここ直指院で筆をふるったと記されています。





良寛について
「りょうかんさま」と親しまれる良寛は、宝暦8年(1758)11月2日越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)の名家、町名主で回船問屋の橘屋山本家に生まれ、天保2年(1831)2月18日島崎(現・長岡市)に亡くなった江戸末期の人。
子どもたちとよく毬つきやかくれんぼをしたことが知られ、日本の原風景のようなイメージもあれば、清貧の中で優れた俳句や書をたくさん残した孤高の高僧というイメージもあります。

この里に手鞠つきつつ子供らと 遊ぶ春日は暮れずともよし

霞立つながき春日に子供らと 手鞠つきつつこの日暮らしつ



良寛70才、弟子貞心尼30才の晩年の恋も興味深い。
君にかく相見ることの嬉しさも まだ覚めやらぬ夢かとぞ思ふ(貞心尼)
夢の世にかつまどろみて夢をまた 語るも夢もそれがまにまに(良寛)
作家瀬戸内寂聴は作品「手毬」で表しています。

良寛は「道元」の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』を精読しており、道元が古代仏教の経典から引いて説いた菩薩行を実行していました。
それは「四摂事(ししょうじ)」という菩薩が人々を悟りに導くための次の四つの方法だといいます。
布施(ふせ):貪らず分かち合うこ
愛語(あいご):優しくいたわる言葉をかけること
利行(りぎょう):相手のためになる行いをすること
同事(どうじ):人々に協力すること。
良寛の生きた江戸時代は辻説法などが禁じられて布教ができなかったこともあり、子供たちに語りかけることが良寛のできる衆生の救済でした。
良寛は生涯を無一物の野僧として過ごしたのです。
辞世の句
うらを見せおもてを見せて散るもみぢ

仏教説話「月の兎」
猿と狐と兎の仲の良い3匹が遊んでいると、山の中で倒れている老人に出会った。
猿は木の実を拾い集め、狐は川から魚をくわえてきて老人に与えた。
しかし兎は何もとってくることができなかったので、猿と狐に火をたいてもらい、炎の中に身を投げて老人に与えた。
姿を表した天帝は兎を月の宮殿に連れ帰った。

相馬御風は、良寛研究家の第一人者として知られています。
良寛研究は大正5年に糸魚川へ退住してから、晩年までの30数年に及びます。
御風の良寛研究の成果は20冊以上の著書に結実しています。

直指院の山門は、宮大工であった相馬御風の先代が建てたもので約160年前のもの。

山門内の地蔵群の中にはクルス地蔵(隠れキリシタンのもの)があり、これだけの大きさのものは珍しく見学に訪れる方もおられます。



アクセス
直指院
JR糸魚川駅日本海口より徒歩5分
住所  :〒941-0068 新潟県糸魚川市本町3-5
     TEL/0255521036
HomePage:http://www.jikisiin.sakura.ne.jp/

ひすい海岸、えちご押上ひすい海岸駅

糸魚川駅で下車し、南側出口が「アルプス口」、北側出口が「日本海口」。
日本海口を出て、そのまま北に向かって歩けば、200メートル先に日本海があります。
北陸新幹線で日本海に一番近い駅が糸魚川です。

糸魚川海岸

海岸線に並行して走る国道8号線の向こうには、テトラポッドが埋め込まれ、道路間際まで海水が打ち寄せます。
かつては海岸線まで百メートル余りの砂丘がありましたが、昭和40年(1965年)頃から海浸が進み、今や砂浜が見えないまでに浸食されてしまいました。
下は砂丘が消え、小石の浜に変わったころの海岸線のようす

かつて昔の糸魚川海岸

小さな展望台があるので登ってみましょう。海岸線を見おろし、逆方法にそびえる越後山塊や北アルプスの山々を見上げると、この街の空気に少し浸ることができます。

テトラポッドと日本海

展望台から見る景色

駅前から富山(西)方面の海岸線はほとんどありません。テトラポッドのみで姫川港まで30分歩くことになります。
駅前から上越(東)方面の海岸線はわずかばかりに名残があり、徒歩30分の押上地区では砂浜や小石がびっしりの海岸が楽しめます。
「押上西(おしあげにし)」交差点の近くに「ひすい海岸」の大きな看板が立ち、長野方面から訪れる人の自家用車で賑わいます。
人々は、海を楽しみ、釣りを楽しみ、石拾いを楽しみ、日本海に沈む大きな太陽に感激します。

ひすい海岸付近

糸魚川の海岸には、フォッサマグナの西側に当たる北アルプスの3億年前の岩石や、3千年前の造山活動の岩石が、日本海に急降下する河川により運び込まれます。
このため多種の岩石が見つかります。
色も形もさまざまで、ヒスイ峡から流れ込んだ国石(日本の石)の「ヒスイ」も採集できる海岸です。
激流にさらされ、日本海の荒波にもまれた小石は、適度な丸みを帯び海岸線に蓄積します。
↓まあるい、お餅のようななめらかな石

おもしろ石

珠玉と呼ばれる天然の宝石が巻き散らかされ、石たちは光り輝いています。
北アルプス、フォッサマグナ、急勾配の河川、日本海の荒波の条件が揃うことで、日本一の海岸線がここにできています。

おもしろ石

出雲の大国主命が、珠玉(ヒスイ)を求めてこの奴奈川(ぬながわ)の里に、船団を組んでやってきたといいます。黒姫山を目当てに、姫川を越え、遠浅の船着き場に適した押上・寺町海岸に乗り入れたのか。
ここに船を押し上げたことから、押上浜の名前が付いたとか。

令和3年(2021年)3月13日、押上浜の近くに新駅が開業します。
えちごトキめき鉄道会社の運営する、「日本海ひすいライン」の線上、糸魚川駅と梶屋敷(かじやしき)の中間、「えちご押上ひすい海岸駅」という長い名前の駅です。
新駅が開業するまでに20年かかりました。この間に地域・経済・交通が変わり、現在は駅の有効性を疑問視する声もあります。
登り/下りのホームが対面になっておらず離れていることや、駅員のいない無人駅であることなど、簡素で不思議な駅です。

糸魚川駅から1区間、乗車時間も5分程度で新駅に到着することができます。
時間を惜しまず、ゆっくり旅を楽しむ方には、楽しいウォーキングコースになります。
新駅から徒歩5分で「ひすい海岸」、
徒歩10分で日本酒蔵元「田原酒造」。酒蔵見学、試飲・購入を楽しんでみては。

押上付近の地図

【アクセス】
糸魚川駅から日本海ひすいラインを利用し「えちご押上ひすい海岸駅」まで5分
糸魚川駅から車で10分
糸魚川駅から徒歩で30分
ひすい海岸には駐車場はありません。
国道8号線海側の側道に多く駐車していますが、台数制限もありお奨めできません。
国道8号線の押上西交差点角にコンビニエンスストアがありますが、購入者のための駐車場ですのでご迷惑にならないようにしてください。
海岸に行くには、「ひすい海岸」の看板の出ている場所に国道8号線をくぐる地下通路があります。
地下通路には近くの小学生たちが描いた海の絵画が並んでいます。押上ギャラリーもお楽しみに。

相馬御風の生家<県指定史跡>

相馬御風(そうまぎょふう)は早稲田大学校歌「都の西北」、日本初の流行歌「カチューシャの唄」、童謡「春よ来い」など多くの人が口ずさむ名曲の作詞者です。
また良寛研究の第一人者であり、短歌・随筆など才能豊かなこと、そして書家としても有名です。



春よ来い(MUSIC)

相馬御風は明治16年(1883)7月10日糸魚川市大町に生まれ、高田中学校、早稲田大学に進み、在学中に岩野泡鳴らと共に雑誌「白百合」を創刊。大学卒業後に「早稲田 文学」の編集に参加。一方で野口雨情、三木露風らと共に「早稲田誌社」を結成し、試作上の一切の約束事を捨てた「口語自由詩」を提唱しました。

地元糸魚川に戻った後も近郷から作詞の依頼が殺到し、多くの学校の校歌が今なお歌い継がれています。

糸魚川市HPからご覧ください相馬御風作詞の校歌

県立糸魚川高等学校の格調高い校歌は卒業生らの自慢です。


また、地元に伝わる奴奈川姫伝説をもとに糸魚川にヒスイが産出するのではないかと推測し、それが昭和13年に糸魚川でのヒスイ発見につながりました。2016年9月に国石(日本国の石)としてヒスイが選定されましたが、御風無くしてこれは有りえなかったことです。御風はあらゆることにアンテナを張り巡らした感性豊かな人で糸魚川を愛していたのだと思います。

ヒスイが日本の国石になりました

昭和25年5月7日脳溢血で倒れ、8日に逝去、享年67歳でした。
大町区墓地(市内清崎)の最奥に相馬御風の墓があります。毎年5月7日には菩提寺の善導寺(市内清崎)で「御風忌」が催されます。



糸魚川を愛し創設した短歌社「木かげ会」は今もなお継承し活動しています。




近年はイメージキャラクラブームに便乗し「御風さん」が作成されました。
イベントにたびたび登場し、太い眉とひょうひょうとした浴衣姿の雰囲気が人々に親しまれています。



相馬御風の生家は現存し、二階を書斎として文学活動を展開した当時のままの姿が残されています。
こじんまりした家屋で、つつましく生活していた様子をうかがい知ることができます。
この建物は新潟県指定史跡となっています。



御風の偉業は、自宅の土蔵に保存されていましたが昭和3年(42歳)の大火で蔵書の大半、研究資料をことごとく焼失したようです。
糸魚川歴史民俗資料館に現存する資料はその後のもので、資料の多さに驚きます。
是非ご来訪していただき、書家としての御風も楽しんでみてください。



【アクセス】
相馬御風生家
JR糸魚川駅日本海口より徒歩5分
住所  :〒941-0061 新潟県糸魚川市大町2丁目10番1号
開館時間:9時00分~16時00分
休館日 :◇月曜日(その日が祝日や休日にあたるときは開館し、その翌日が休館)
     ◇祝日の翌日(その日が土曜日、日曜日、休日にあたるときは開館)
     ◇年末年始(12月28日~1月4日)
入館料 :一般100円、高校生以下無料

糸魚川歴史民俗資料館(相馬御風記念館)
JR糸魚川駅アルプス口より徒歩5分
住所  :〒941-0056 新潟県糸魚川市一の宮1-2-2
問合せ先:TEL/025-552-7471 FAX/025-552-7471 E-mail/ bunka@city.itoigawa.lg.jp

map


勝山(かつやま)城址



勝山城址(勝山)に行くには、糸魚川市街を西(富山)方向に向かって進みます。
およそ車で20分くらい。



青海(おうみ)町・田海川(とうみがわ)当たりからは、海岸線の際に突き出した小山が見えます、これが勝山。
日本海海岸線を東西に見分け、戦国時代の要衝の地であった場所です。

海岸線に沿って道路が曲り始める頃、勝山トンネルの手前右方向に8台程度の車が駐車できるスペースがあります。
駐車スペースは右方向にあり、勝山トンネルから出てくる対向車がありますので注意してください。



ここで標高10メートルくらいでしょうか、すぐ下に日本海があります。
振り返ると北アルプスが日本海に落ち込む断崖を切り開いて通っている国道8号線の厳しさが良く判ります。
崖を削り、トンネルを掘り、天下の険を通過するのは半端ではなかった、
国道8号線が全2車線になったのは昭和42年のことです。



駐車場所から山腹側をみると「勝山城址登山道」の石碑が建っています。
その先に石の階段が付いてますのでここを登っていきます。
一本道なので迷うことはありません。
石段があるのは20段ばかり、その先はヤブと沢に滑りそうな急な細道で、やがて険しい尾根道でロープと鎖。
しっかりした靴を履いて行くべきでしょう。
雨の日は滑りますので注意が必要、靴も汚れます。



4月30日に登った時は、高山植物のイワカガミが咲いていました。
勝山は標高328メートルですが、風雪が厳しいので海岸線でも咲くのでしょうか。
この高さまで登ると潮風の影響は無いようです。
ゆっくりペースで登り40分、下り20分。



頂上には勝山城址の立て札があり、この山の謂われが書かれてます。

この城は、戦国時代の越後上杉氏によって築かれ、落水(おちみず)城とも呼ばれた。
日本海に迫る標高328メートルの断崖上にあり、西は越中宮崎から能登、東は上杉氏の居城春日山以西の海岸部はもちろん...遠望できる要地にある。
天正13年(1585年)には豊臣秀吉が石田光成を従えて上杉景勝、直江兼続らとここで盟約を結んだとの伝えもあるが定かではない。

物見櫓が建っていたのか結構な平坦なスペースがありますが、三角点と、小さな祠「親不知・越中海岸展望所」の立札があるだけです。
遠い過去に兵士たちが入れ替わり守備に携わっていた面影を偲んでみましょうか。



頂上から、海側は草木が生えていますが、まっさかさまの崖で、勝山トンネルの上を越えて日本海まで落ちていきます。
草木の隙間から糸魚川市内を見下ろすことができます。
姫川河口から海岸線は浦本あたりまで。山容は早川・不動山から鉾が岳まで。
北アルプスに阻まれ、山を越えてくる敵があったとしても、根知城山(じょうやま)で阻止できます。
海岸線を監視する見張り台とすれば勝山は的確な位置で、ここで狼煙をあげれば、情報伝達は早かったに違いありません。

残念ながら親不知方面はここからは見えません。
もうひとつ西側の山が邪魔です。西側が見える尾根沿いの場所があったのでしょうが今は草木に埋もれて不明です。



残念ながら、期待していたテレフォンカードにあるような親不知の高速道路はまったく見えません。
これは恐らく空撮したものなのでしょう。



ここからは、勝山城址登山の余話になります。
急ぎ下山して、親不知駅から「鬼ヶ鼻」の高台に登ってみ見ました。
親不知駅の西側にある高台です。
明治天皇が行幸された時に「野点」された記念碑も途中にあります。
(明治天皇は親不知に道が無かったため、海岸を避けて山越えしたのです)



徒歩で1時間半かかりましたが、乗用車なら高台まで15分程度で行けます。道路は舗装されています。
空撮には及びもつきませんが、国道8号線や、橋脚に支えられる北陸自動車道が見えました。
テレフォンカードに近いものが見えたことで、なんとなく安心して帰路につきました。

【アクセス】
北陸自動車道「糸魚川IC」から車で30分。国道8号線を富山方面へ。
「勝山トンネル」手前に駐車スペース8台程度。駐車料無料。
登山口から40分で頂上に到着します。お天気の良い日の午前中ならばサっと行けます。
(下りは約20分で駐車場まで戻れます)

早川(はやかわ)地区の不動山(ふどうやま)に登る



不動山(ふどうやま)は早川にあります。
早川沿い国道の上流を見ると、左手に見えるどっしりした山で、標高450mの高台になります。
戦国時代に居城があり、西の勝山城(青海)、東の徳合城(名立)などとともに、上杉謙信の春日山城(上越市)の狼煙場としてあった場所です。

地図を検索しても、車ではとても行けそうにないように見えますが、地元の人に尋ねると、結構頂上近くまで車で行けるし、民家もあります。
対向車がないことを祈りながら、溜池を目当てにして、細い道をゆっくり昇りましょう。
溜池の近くに車を停めるとよいでしょう。



溜池は進行方向左側に見えカーナビでも池が表示されます。
池は農業用水として利用されているのでしょうか。



下車して5分も歩くと「狼煙(のろし)場」の標識があります。
すでに、不動山の山域に到着しています。
周りは松林ですが、見上げれば中央がポッカリ開いていて青空が見えます。
ここで狼煙をあげたのでしょう。



狼煙場からは、不動山緑地環境看板に表示される...(点線部分)を進むことになります。
最初はちょっと登りますが、山を周回していくなだらかな道です。

「一ノ防堀」から「三ノ防堀」まで、外敵防止の堀跡が続きます。
敵は山を登ってくるしかないので、この空堀で勢いを止め、攻撃する算段だったのでしょう。



案内看板地図の②あたりから、登り階段になります。
短いですが息が切れるほど。しっかり整備された階段で安心です。

最後の頂上への道はさらに厳しい階段で2分程度続きます。
高度を稼ぐという感じで、登り詰めると一気に汗が出ます。



頂上には「不動山城址」の石碑。標高450メートル地点です。
狼煙場から歩いて30分程度でした。
景色も開け、早川、糸魚川、日本海がしっかりと見渡せます。
天気の良い日に、お弁当を持ってピクニックに出かけるのをお勧めします。
石碑の横には、白く新しい建物(テレビ局の中継塔)があります。



西方向の海岸線際に親不知の勝山城(青海)が見えます。
ここで狼煙を上げれば、勝山城から見えるでしょうし、逆もまたしかり。



山を下りて、もう一度山を振り返ります。
ここに城が立っていたら、攻撃は難しかっただろうし、見張られている感たっぷりです。
早川を守る「不動山」は堂々としていました。

糸魚川市内から2時間をかければ、車で登って、歩いて、山頂でお弁当食べて、降りて戻れます。
その日の天候を判断した後、小さな子どもさんも一緒にピクニックするのに適度な距離です。
唯一の心配は対向車に合うこと。車道は細いのでお気をつけて。

【アクセス】


糸魚川駅から国道8号線で上越方向に向かい、「早川橋西詰」交差点を右折
(笹倉温泉郷の看板があります)して、県道207号に入ります。ここまで車で約15分。
越(こし)郵便局を目指して進み、「越交差点」を左折し早川を渡ります。
道なりに進み溜池をめざします。糸魚川駅より約25分。
枯葉の多い秋(10月下旬)は、枯葉で車がスリップしますので注意が必要です。

駐車スペース4~5台
トイレ無し
所在地:〒949-1201 新潟県糸魚川市大字越


根知(ねち)城山(じょうやま)

糸魚川市根知(ねち)地区に「根小屋(ねごや)城」があります。
根小屋城・上城山(かみじょうやま)城・栗山(くりやま)城の三城を総称して根知城と呼び、県指定史跡の中心は根小屋城(標高320m)です。
根知城は、越後と信濃の国境に位置する堅固な山城で、戦国時代の典型的な尾根城(山の尾瀬沿いに作られたお城)です。



【歴史】
南北朝時代(14世紀中頃)に南朝軍だった禰智(ねち)氏の根拠地であり、禰智氏は足利軍と戦い戦死しました。
上杉謙信は武田信玄が松本街道を下って侵攻してくることを恐れ根知城を重要視し、武田氏に追われた信濃の豪族・村上義清を城主にします。
根知城は、信濃の国に対する越後側の最前線基地として重要な役割を担うことになります。
こうして、松本街道を使うことを諦めた両雄の世紀の対決は、「川中島の合戦」になっていくのです。
その後武田方の仁科盛信、上杉方の西方房家、桜井三助晴吉に城主は変わり、堀左門城主の1601年根知城は廃され、城主は清崎城(糸魚川城)に移ったといわれます。
本丸跡と殿屋敷と称する郭跡を中心に、郭跡17、削平地201、掘切16、堅堀15と大規模な城郭跡を残しており、新潟県の史跡に指定されています。

地元では「根知の城山(じょうやま)」と呼び、山を楽しむ人たちは、標高525mの上城山城(詰め城:最終防御点)をめざします。
姫川から眺める城山は、一帯を見渡す絶好の場所で、その城は難攻不落の場所に思えます。


頂上からは西側に姫川、東西に根知谷が披け、北は日本海まで望める絶好の拠点です。



根知川を越えた先に見える東側のゴツゴツの岩肌が越後駒ケ岳(1457m)、



南東はるかに日本百名山の雨飾山(あまかざりやま、1963m)が見えます。



ここは蝶を多く見ることのできる土地です。街でも最近は見かけませんが、城山に登るとたくさん飛んでいます。
キアゲハです。



4月下旬、カタクリ、イワウチワの群生や、タムシバ、ニリンソウの花が咲きほこります。
カタクリ


イワウチワ


タムシバ(ニオイコブシ)


ニリンソウ


山菜コシアブラ、ツクシ、ぜんまい、タラノメ、山ウド、せせらぎにワサビ、山の幸もいっぱい伸び盛り。
コシアブラの天ぷらは高級食材です。


栗山の居住地に降りるとスイセンも真盛りでした。


糸魚川にきない!

コシアブラ
樹脂からわずかながら油が採集できます。
奈良時代から平安時代にかけての文献には「金漆(ごんぜつ、ごんぶち)」と呼ばれる黄金色に輝く塗料が登場し、工芸用塗料として珍重されたとありま す。
越後国の油なので「コシアブラ」

北海道、本州、四国、九州に広く分布し、冷温帯林に生育しています

【アクセス】
JR大糸線「根知駅」下車、徒歩5分
北陸自動車道「糸魚川IC」から車で15分。国道148号線を白馬方面へ、「根知谷入口交差点」を左折、踏切を渡りすぐ右折。
駐車スペース4~5台あります。ここから尾根を登るのが、厳しいですが景色も良くてお奨めのコースになります。
写真は登り口付近、人の通った細く急なのぼり坂が見えますが、ここが登山口になります。(特に標識はありません)



勝蓮寺横から、昔ながらの大手道を通り三の丸跡に昇るルートもあります。
栗山登山口にも駐車スペース4~5台あり、紹介ルートの逆コースを辿ることもできますが、谷あいのルートで景色は望めません。
(地図に黒丸で示した辺りに駐車スペースがあります。)
登山口から2時間で上城山城に到着できるので、足慣らしに出かける人も多い人気の山です。
(下りは約1時間で戻れます。下記の地図をご参考に)
およそ半日をかけて糸魚川の野山と色をお楽しみください。

所在地 :勝蓮寺付近 〒949-0536 新潟県糸魚川市大字根小屋711 TEL.025-558-2208


能生・白山神社の春大祭

白山神社春大祭は毎年4月24日、豊年、豊漁、商売繁盛を祈願して行われます。
白山神社

9時過ぎ、すでに御神嚮(ごじんこう)と呼ばれる獅子舞が始まっています。
御神嚮の前には「七度半の使い」と呼ばれる儀式が午前8時頃から行われ、「神々のお出ましをお願いする」口上と所作を七度に渡って繰り 返します。 これをおこなうことでようやく神様の出発が叶うのだそうです。
先頭をいく露払いの獅子舞は笛と太鼓に合わせ力強く舞います。
一体の獅子を二人で纏い、約20名の若衆達が順次入れ替わりながら舞い続け、行列を先導します。
白山神社春大祭 獅子舞

そのあとを3台の神輿。一の神輿(いざなぎのみこと)、二の神輿(ぬながわひめのみこと)、三の神輿(おおなむちのみこと)が続きます 。
白山神社春大祭 神輿

そして旗、花竹、刺又、槍、道具箱が続き、うしろに稚児の列が続くのです。
白山神社春大祭 稚児の列

動きのあるのは先導する獅子頭一体のみで、うしろは静やかに、厳かに、神々を乗せて進みます。
御神嚮は、約3時間もの時間をかけて続けられ、200メートル足らずの境内を2廻り半する程度のスローペースなのです。

正午になる頃、ようやく御神嚮打ち止めとなり、神輿は所定の位置に留まり、「お走り」の待ち体制にかかります。
境内はそわそわしだし、神輿が上下に揺さぶられジャラジャラと鳴り響き、張り詰めた雰囲気に包まれます。

スタートすると見せては中止することを何度も繰り返すので、境内は息を詰めるのと、ため息があふれ返ることが10回以上。
いよいよ三の神輿の合図とともに一気に走りだし、獅子は拝殿に、稚児は楽屋に、神輿は御旅所(おたびしょ:お祭りのために神様が仮にと どまるところ)になだれ込む「お走り」です。
「お走り」の写真は、息をのんでいるうちに過ぎてしまう、あっという間の出来事です。下記のURLで写真がご覧になれます。
能生白山神社春大祭「お走り」→

「お走り」が終わると、拝殿と御旅所の間に橋を渡し、神様へのお供えを運ぶ「供神撰(きょうしんせん)」
6名の社人が3回の往復で楽の音に合わせてお供えをします。
お供えが済むと、祭礼の準備が整ったことになり、いよいよ舞楽奉納になります(午後1時頃)
国指定重要無形民俗文化財の舞楽の一番は「振舞(えんぶ)」であり、舞台を祓い清める舞です。

2.候礼(そうらい):稚児4人。指を狩衣から出さず、剣印を結んだ指先で袖先を伸ばす、静かで優雅な舞。

3.童羅利(どうらり):稚児1人。最年少の稚児による短い舞で、最後に「あかんべ」をするらしい。

4.地久(ちきゅう):稚児4人。

5.能抜頭(のうばとう):大人一人。手に撥(ばち:武器のたとえ)を持ち、軽快にしかし、体力の要る力強い舞。
白山神社春大祭 能抜頭(のうばとう)

6.泰平楽(たいへいらく):稚児4人。出鉾の舞、徒手の舞、鉾の舞、太刀の舞と長時間にわたる舞。
白山神社春大祭 泰平楽(たいへいらく)

7.納曾利(なそり):大人2人。前半は「破」の舞。後半は「急」の舞。雌雄の竜が楽しげに舞遊ぶ「双竜の舞」と呼ばれます

8.弓法楽(きゅうほうらく)

9.児抜頭(ちごばとう)

10.輪歌(りんが):稚児4人。「前の手」、「肩の手」、「腰の手」の舞。最後は1列になって楽屋に戻ります。
が、稚児の最後一人は楽屋に容易に戻されません。
何度も舞を強制され、最後に稚児は半泣き状態になるのです。
このときすでに幕際には陵王が座して出を待ちかまえています。

11.陵王(りょうおう)
4時間半をかけて10種の舞が披露された午後5時半。いよいよ陵王が登場します。
いつのまにか人があふれ、輪歌の最後の一人が楽屋に入ると同時に、瞬時に楽が変わり、緋の色の「陵王」が飛び出てきます。
夕日(アマテラス)の射し込む時間、頭部に竜をつけた吊り顎の陵王面、
赤熊(しゃぐま)を被り緋チリメン狩衣に緋緞子の装束。
橋懸りに現れると、境内騒然となり、「りょうお~う」の声があちこちからあがります。
白山神社春大祭 陵王(りょうおう)1

動きは緩やかに見えますが、まるでスクワットを繰り返すような中腰
伸び上がった状態でも足が交差しており、生半可な平衡感覚の人にはまずできません。
左足を踏み込み、中腰に屈んだ状態で、左から右をねめまわすようにゆったり向きを変え、ときに「烏跳び」や「千鳥掛け」などの舞。
舞台中央でおこなう「日招きの舞」は、太陽が沈まぬような呪術の意味をもつともいわれ、
観客の目が陵王に集中し、一同が神がかりのようになります。
白山神社春大祭 陵王(りょうおう)3

たんたんと繰り返される舞に引き込まれるうちに、あたりは暗くなり、橋懸りに群がる人たち。
早く舞を終わらせてあげたいような気持ちと、まだまだ陽は落ちないからもっと続けてくれという混濁した状態。
舞を初めてから1時間が経過した午後6時30分近く、
陵王が橋懸りを飛び越える「走り込み」を一目観ようと観客は殺到。
待機する氏子総代に抱きかかえられるように橋懸りを跳び越え倒れ込む陵王。神がかりが抜け落ちた肉体。
直後、楽は急テンポになり、橋懸りが取りはずされ、祭りは終わりに向かい動き出します。

能生白山神社春大祭「陵王」の舞をもっと見る→

能生白山神社春大祭 舞楽についてもっと見る→

神霊還御(しんれいかんぎょ:御旅帰り。神様がおかえりになること)
橋懸りがはずされると、御旅所にある3基の神輿はすごいスピードで拝殿に担ぎ込まれます。
神様がお祭りを終え還られたのです。
その後、神輿は外へ持ち出され、拝殿前で上下に揺すぶられ、さらに御旅所の前で再度上下に揺すぶられる。
無事に祭礼が済んだことの歓喜の爆発。稚児も担ぎ出され両手をかかげ喜びを表します。
3基目の神輿は御旅所の前で、50回に及ぶ上下動を果たし、どよめきと拍手が湧きあがるのです。

陽は落ち、観客は余熱を含み、帰途に。

能生白山神社春大祭「神霊還御」をもっと見る→

能生白山神社HP→

4月24日は夕刻まで春大祭を楽しみましょう。まだ少し寒いでしょう、防寒対策も忘れずに。
北陸新幹線を利用されると都会へはその日のうちに戻れますが、糸魚川の夜に浸るのもいいですよ。
糸魚川にきない!

【アクセス】
・車の場合 :北陸自動車道「能生IC」より5分、「糸魚川IC」より25分
       駐車場は、弁天岩近くの特設駐車場をご利用ください。
・電車の場合:えちごときめき鉄道能生駅より徒歩約15分
所在地  〒949-1352 新潟県糸魚川市大字能生7239
問合せ先 糸魚川市観光協会能生支部 TEL. 025-566-2244
能生案内図

徳合(とくあい)枝垂れ桜の咲く里へ



糸魚川ジオパークの「筒石・浜徳合ジオサイト」は、砂岩泥岩互層の観察や、280段の階段のある筒石駅トンネル地下ホームが有名です。
(地下のトンネル内に駅のホームがあります。ホームは海抜20mに位置し駅舎とは40mの標高差があるため、階段で280段も上り下りしなくてはならないの です)
⇒糸魚川ユネスコ世界ジオパーク 筒石・浜徳合

ここ徳合は、国土交通省の「日本風景街道」に登録された「枝垂れ桜の咲く美しい里山の景観」として見逃せない場所です。


⇒日本風景街道

海に近い桜は葉桜になりつつあっても、山に登るにつれて花は満開。
街道沿いに枝垂れ桜が100本以上植えられており、日本の農村らしい風景を堪能できます。


淡いソメイヨシノもいいのですが、枝垂れ桜が緑の野山に点在するこの地域は、桃源郷に入ったかのような安らぎを覚えます。


時期外れの菜の花の黄色が、枝垂れ桜の温かみを盛り上げます。


去年と同じ桜の下で見惚れていたら、地主のOさん夫妻が、やはり今年も声をかけてくださいました。
「ちょっと寄ってお茶を飲んでってください」と。


桜を観に来る人には必ず声をかけ、枝垂れ桜は良いでしょう、良いよねぇ、嬉しいねぇと魅力を語り、
サクラを通じて心を通わせます。


この場所が判らないという人がいるからと、目立つように今年から鯉のぼりを立てたこと

芝桜を植え、さらに山から持ってきた「シラネアオイ(高山植物)」を植えたら、性に合ったか群生したこと


細い流れは土を運ぶので、夏になるとこの場所にだけホタルが飛ぶようになりましたと

空き缶拾いから始まり、30年をかけてこの里を守り、創ってきたこと

自分たちで創り、守っているのだという、誇りと余裕が感じられる。スローライフを考えさせられる里です。

今年も、気持ち良く桜に会えたこと、Oさんに逢えたことを感謝し、里を離れました。


枝垂れ桜の一番大きい樹の下で、サクラを眺めていれば、きっとOさんが声をかけてくださいますよ。

⇒枝垂れ桜の咲く里への回り道

徳合地域につたわる言葉(遠い昔から伝わる大切な言葉)
○「飾る」より「磨く」こと
○「魅力」は、自分たちがつくること
○「想い」は、形になる


糸魚川駅からの道順です。
国道8号線を上越方向に25分、「徳合」まで進み、右折して431号線に入ります。
道なりに徳合、仙納地区を通過し、筒石駅前を通り、国道8号線に戻る一回りできる道路です。
ゆっくりめぐって1時間。糸魚川駅から2時間半程度の海と山里のドライブができます。
季節は4月20日頃、糸魚川にきない!

【アクセス】
北陸新幹線「糸魚川駅」より車で35分 26km
北陸自動車道「糸魚川IC」より車で40分
所在地(目印) :徳合公民館 〒949-1301 新潟県糸魚川市大字徳合5307
問合せ先:糸魚川市観光協会 TEL.025-552-1742
期間時間:制限なし
駐車場 :なし



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