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来海沢から平牛めぐり

JR糸魚川駅アルプス口

JR糸魚川駅アルプス口、糸魚川バス西海線に乗車しバスの終点来海沢(くるみざわ)まで移動します
およそ30分
歴史ある来海沢の集落を巡り、日吉神社や庚申塚・道祖神を回ります
自家用車を利用する人がほとんどのこの頃、バスも8人乗りに小型化され1日2便の運行

その後は海川に沿って西海谷(にしうみだに)を通る県道221号を歩いて、途中釜沢神社に寄り道
時間5時間、距離11kmほどのウォーキングです。

歴史ある集落は日本海から遠く、山に守られ、水の豊かな農業に適した土地
集落の交差点に六地蔵、庚申塔、道祖神が並び、昔の活気ある人々の生活が偲ばれます。

来海沢庚申塚

来海沢日吉神社

来海沢日吉神社は古く正一位山王社
祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ:土木の知識に優れ、治山・治水・農耕・開拓の守護神)
日吉は日枝、比叡に繋がり、滋賀県比叡山のふもとにある日吉大社が総本山
「山王権現」とも呼ばれます。
来海沢日吉神社

山王社(日吉神社)は狛犬ならぬ猿の像がお出迎え、神猿像(まさるぞう)といわれます
チャンチャンコを着た石像は愛嬌があり滑稽です
本殿向かって左には子供を抱いた母親が、右には父親の神猿像が安置され
猿は群れを大切にし子宝に恵まれ安産であることから家内安全、子授け、安産を願い母猿を
「マサル」の語呂から商売繁昌、社運隆昌、厄難消除を願って父猿を撫でていくのだそうです。

来海沢日吉神社

糸魚川市指定民俗文化財に指定される日吉社棟札(むなふだ)天正19年(1591年)が残っています
鉈彫りされた杉板の表裏に墨書された札木で、500年前の集落の貴重な記録です。
表には神火(落雷)または何らかの原因で宮が焼け落ち大騒ぎで再建したことやこの年に検地が入ったこと、
裏には、山王(日吉)社の社殿を造営するための寄進を神主の丹嶋田夫が認める、
という内容で、宮建造の古習が分かる貴重な資料です

日吉社棟札

百体観音として知られ33年に一度御開帳される観音堂があるのですが案内は無く、人通りも無く不明でした。
また、
来海沢には大きな庄屋が東と西に二軒あり、西の庄屋の屋敷は市の文化財に指定されています
それが松沢家で、19世紀中期以降の木造2階建瓦葺の建築で、間口12間奥行6間建坪125坪と堂々としており、
軒下が「船枻造せがいづくり」という特殊な造りになっています。

松沢家住宅

真木部落には阿弥陀堂と釈迦堂があります。
県道221号線が海川を渡る手前に大杉の森が目に入ります、「釜沢神社」の叢林です
スックとのびた大杉が境内を取り囲んでおり、御神木は樹齢数百年を経た巨木3本(糸魚川市指定文化財)
幹周り 8m
樹高 25m
さらに神社の裏手には巨木2本
幹周り10m
樹高 30m
釜沢神社の大杉

釜沢神社の大杉

元は「神明宮」を改称し「釜沢神社」となる由来は軒下の板書から、またこの集落の歴史の古さを語り伝えています。

釜澤神社の由来
天照大御神を祀る神明宮創建推定八百年
大山咋神を祀る山王社創建推定千百年を
明治三十九年神社合祀の訓令により大正初期
山王社を遷宮釜澤神社と改称大正拾年本殿新築遷し奉る
釜澤は昔より西海の要地として栄え学校寺医院など
四十余戸あり遠く魚留まりより水を導きぬ
岩壁を掘り隧道を掘削苦難の水路農耕の拡大に
確固たる基盤を築き真光寺大和川にも分水
祖先の報恩に深く感謝し後世へ傳承遺し傳えたし
崇敬せられる鎮守社の森昔より花立越えの休息に
昭和初期頃は相撲盆踊り盛大なりし又武運を祈り
村人に見送られ召されし数多の若者六名も
の尊い命を失い戦いの悲惨を偲び永遠に世界平
和と村の繁栄に御神徳無窮の永福を賜らん事を
願い茲に御即位御大典紀念を祝し奉納す
 平成2年11月吉日 氏子一同
   伊井沢裕謹書

ワークセンターにしうみ

県道221号線が海川を渡ると道平集落、ここには旧南西海小学校の跡地を利用した糸魚川地鶏「翠鶏」を生産する「ワークセンターにしうみ」があります

道平にある「身代地蔵」の姿は優しく癒されます

道平・身代地蔵

さらに下り、中条集落に熊野社、川島集落に白山社、田中集落に愛宕社、井沢集落に諏訪社などの社が見られますし
水保の日吉社の近くまで下ると見事な山王森の大ケヤキに会えます。
目通りの周り7.2m、樹高役26m、枝張り32mで樹齢300年以上、市内に残る欅では最大で市の天然記念物です。

山王森の大ケヤキ

北山集落には双体道祖神や芭蕉の句碑があります。

双体道祖神

北陸自動車道をくぐり、右手に糸魚川高等学校の校舎を眺め、平牛集落に到着すれば西海ウォーキングは終わり。
えちごトキめき鉄道の「ひすい押上海岸駅」まであと1キロくらいか
元気のある方は、糸魚川駅まで2キロくらいか
歩きがいのあるコースです。

西海ふるさと案内板(水保集落の西海公民館入り口に掲示されている案内板)
西海ふるさと案内板

アクセス
バス(平日運行)
12:40糸魚川駅アルプス口発 13:01来海沢着 糸魚川バス利用\460.-

来海沢→糸魚川駅 徒歩
2h21m 10.6km(あちらこちらで楽しんでいると5時間くらいかかるかなぁ)

来海沢マップ

御前山の信仰・雲台寺

水保から水保川を登りつめること徒歩2時間で市野々(いちのの)に入る
この地は船浦山からの地下水が豊富に沸き出し、地元の酒造会社が湧水として利用している場所
この水が市野々の田畑を潤し水保川に流れ込んでいくのだろう
さらに5分、のぼった集落が御前山(ごぜんやま)集落。 御前山と駒ケ岳

駒ケ岳の前にあるから前山の名か?
近年は過疎化が進み、土地を離れる人が多く、藁葺き屋根の家も次々と倒壊し、冬期以外に別荘として過ごす人がわずか


この台地にある天台宗御前山雲台寺(うんたいじ)は別名「御前山観音堂」と呼ばれ、天台寺門宗本山園城寺(おんじょうじ、滋賀県三井寺)の末寺、
古くから子宝の仏様、縁結びの仏様としてご利益があると信仰され、近郷から多くの信者が集ったという。


ご本尊は十一面観音像で2尺余り、開祖の法道作と伝えられ、脇侍は地蔵尊と毘沙門天
鎌倉時代に北条時頼が訪れ、越後横道三十三観音の一番札所に選定され、江戸期の制作とされる五大明王像もある
春日山城を守っていた堀秀治一門の堀清重が慶長11年根知城から清崎城に移った際、雨乞いのため雲台寺に奉納した黒駒(黒い馬)が描かれた絵馬もあったそうな
鍵のかけられた本堂は静か

牛馬耕が盛んな時代には牛馬の神仏として崇められ、長野県小谷村、富山県の人々も馬を連れてお参りに来ていたそうで
昔は漁師の裸足祭りや農家の牛馬の安全祈願が七月にあり、祭礼時には綺麗に着飾った農耕牛馬の列が御前山に向かい
八月三十一日の夜半から境内はやぐら太鼓の音で盆踊りが行われ、老若男女が境内にあふれ、翌日まで賑わいが続いたという。

祭りの日は朝早くから水保街道を登り、根知、大野、梶屋敷、西海、早川の人たちであふれかえったのだろう
昭和の中頃までは近郷から若い男女が参詣し盆踊りに興じ、男女交際の場として知られた霊場だった。



今は緑に覆われた石畳と朽ちかけた雲台寺観音堂が建っているのみ。


山門の手前に馬頭観音の石仏群、山門には木製の馬像がほこりにまみれて置かれている。

山門をくぐると、左手に大きな岩と手水舎があり、
水は岩の真ん中の青銅製の龍頭の口から流れ、龍頭の長さは1m前後...


というのはいつ頃までの話しだったのか、私も10年ほど前に見た記憶があったのだが
2024/1/1の地震のせいかな?龍頭は落ち、流れ落ちる水は無かった





その脇の岩をくり抜いて安置された阿弥陀三尊仏は、なぜか取り残されたようで寂しそう



もう20年は経つだろうか、観音堂の十一面観音像が盗難された。
鍵のかかっていない本堂に入り込み持ち出したらしく、心無い盗難行為は今をもっても腹立たしい
本堂正面には『ご本尊は旅に出かけられました』と木札が置かれ、いつかまたお戻りになることを願うと穏やかに記されている

観音信仰の篤き皆様へ
観音菩薩の道を求めるものの道場として出来得る限りを尽くして観音堂を護符して参りました
『ある日突然御本尊様(十一面観音菩薩)が脇士等を道づれに巡礼の旅に出かけられました』
警察へは「捜索願」(盗難被害届)を提出しました
観音堂は御本尊様の菩提心につつまれていると信じております
観世音菩薩様の還帰を願いて観音堂をこれからも護持してゆきます  合掌




雲台寺の歴史を物語る鬱蒼とした樹林、緑に囲まれた静寂の中で
しばし往時のにぎわいを想像し、盆踊りの赤い提灯と踊る太鼓の音を思ってみる
栄華盛衰の光景に驚くばかりです。


山門前の石仏も苔むして、地震で倒れてしまったか、2体を抱き起こして立ててみた
管理見守る方が居なくなっているのかも入れない
残雪の残る4月末、雲台寺の春はもう少し先。

さらに登ると海谷渓谷ジオサイトの海谷山峡パーク、海谷渓谷に至る
来海沢(くるみざわ)釜沢(かまさわ)からの県道221号線(上町屋・釜沢・糸魚川線)が整備され、水保街道から登ってくるのは地元の人だけ。



2021年3月4日未明に幅100m、長さ1kmの地滑りが発生し、来海沢地区住家付近まで崩れていることが発覚し、
土砂で県道221号線が寸断され、市野々地区、御前山地区は一時孤立した
幸い地滑りの発見が早く、避難も迅速に行われたため人的被害は無く幸いであった。
この付近の地は、噴出した海底火山の堆積物が表層にあり、脆く崩れやすく土石流が起きやすい地域だという。

【アクセス】
糸魚川駅から車で29分、距離14.7km
県道221号線(県道上町屋・釜沢・糸魚川線)の車両は通行可能。境内前道路脇に駐車スペースあり
さらに登ると海谷渓谷ジオサイトの海谷山峡パークに至る。




羅漢和尚の墓

名僧「玉瑞和尚」または「羅漢和尚(らかんおしょう)」は、文化四年(1807)糸魚川西海・大久保集落の庄屋猪又長左衛門の次男として誕生
西海の耕文寺で小僧を務め、天保六年(1835)27歳で「梅渓玉瑞」と名のり、蓮台寺村の延命山昌禅寺の17代住職となりました

托鉢行脚をし、浄財を集め、八万体造立の悲願と情熱をかたむけ、500体の石仏を造ることを念願し、10年の歳月をかけて天保13年(1842)に羅漢堂と石仏555体を完成しました(蓮台寺五百羅漢堂)

また天保13年から嘉永2年(1849)には三幅三千仏画(一幅に千体の仏が描かれた掛け軸)を完成しました(耕文寺蔵)

慶応2年(1866)には月不見の池近くに「八十八ヶ所」の名で知られる四国八十八ヶ所巡りのミニチュア版を造りました
奇岩・巨石の間にある八十八の石仏を巡るコースは約2時間を要し、糸魚川ジオパークの「月不見の池ジオサイト」のジオスポットとして訪れる人も多い場所です
→越後八十八ヶ所巡り

玉瑞和尚は明治17年(1884)78歳で没するまで各地に石仏を置きました
糸魚川市内から望める日本百名山「雨飾山」山頂に善光寺式阿弥陀三尊仏を安置したのも羅漢和尚であったという説があります



最後は即身成仏を願い、自らの墓を生家近くに求め、露頭する自然石(凝灰角礫岩)をくりぬいて墓を造り、経文仏画を刻み、入母屋形石室としその身を置きました
しかし死にきれずに現世に戻ったと言うエピソードが残っています
自然石の墓としては日本一の大きさ(5×4×3.5m)で229個の釈迦涅槃図が模してあります

さてそのお墓は、
水保の観音堂から水保街道を南下、市野々(いちのの)方向に4kmほど進むなか、下記の地理院地図の標高309m付近(図①)で大久保集落に分岐します。コンクリート壁に「大久保入口」が刻まれています



道を進み、突き当り、これを左折すると左手に「羅漢和尚墓」の標柱が建っています(図②)



大久保集落にはほとんど居住する人は無く、作業小屋らしき家が数軒残るだけです
左折した道を100mほど進むと、右手に2段の石垣が積まれた丘が見えます(図③)、階段を10段程登ると立派なお墓に巡り合えます



昔は水保と御前山を結ぶ重要なルートであったろう大久保の地も
国道221号線が主流となり、今は荒廃が進むばかりの山里となった林の一隅
和尚のひたすらな情熱と強い意思で刻まれた大きな墓が、150年経った今も堂々と残っています









明治17年(1884)五月二十三日、羅漢和尚は78歳で寂滅

中村栄美子さんのふるさと民話「羅漢和尚の墓」Youtubeもどうぞ
→ふるさと民話「羅漢和尚の墓」

見守る人がいるようです、さらに50m道の奥には、花が手向けられた子安地蔵尊、馬頭観音の祠がありました




【アクセス】
糸魚川駅から車で35分、距離11km
水保観音堂から車で15分、距離4km
道は細いですが車通行可能です。図②付近に4台ほど駐車スペースあり




水保観音

西浜七谷(現上越市の桑取谷、名立谷、糸魚川市の能生谷、早川谷、西海谷、根知谷、川西谷(今井・小滝・青海地区)と呼ばれる7つの谷のうちのひとつ、西海谷(にしうみだに)は海川(うみかわ)が作り出した谷
上流には「海谷渓谷ジオサイト」があり、海谷山峡パーク、千丈ヶ岳の大岩壁、海谷高地などの地形が形成されています
海川河口から約3キロほどの上流、左岸の支流に水保川(みずほがわ)があり、古く天台宗御前山雲台寺に通ずる道が開けていました

水保観音堂 石柱

水保川が海川と合流するあたりの道路に「国宝水保観音」の標柱があり、しばらく進めば観音堂駐車場です。
駐車場からは、水保観音堂の大きな石柱が見え、階段を登ると観音堂です。

糸魚川市水保観音堂

水保観音堂の創建は泰澄大師が養老年間(717~724年)に開いたとか、あるいは弘法大師空海が大同元年(806)に開いたとか云われています
その後、坂上田村麻呂が当地を訪れた際境内が整えられ寺院として草創したそうで
当時は吉祥院に属し、信仰を広げ最盛期には七堂伽藍を備えた大寺院として周囲にも大きな影響力を持っていました。

水保観音堂 木造十一面観音立像

国指定の重要有形文化財「水保の木造十一面観音立像」は、観音堂の裏手の収蔵庫に安置されています

桜材の一木造り、全面に鑿(のみ)目がつけられている鉈彫り、像の高さ155センチ
丸のみを横に用いて荒っぽく彫る技法で、のみの運びが自由で、像からは素朴で穏やかさが感じられます
新潟県の中でも貴重な一木十一面観音ですが、頭上の十面は彫りがなく、墨で描かれています。

水保観音堂 説明書き

あらかじめ拝観の予約をしておけば収蔵庫の中まで入れていただけるので間近で観音像を拝観できます
拝観料は1グループで5000円、拝観するには1ヶ月前からの事前予約が必要です

水保観音堂 境内

像は平安時代中期から後期の作で、両腕の手首から先が欠損しており何を保持していたのかと謎が残ります
境内には日野資朝(ひのすけとも)の一子阿新丸(くまわかまる)の塚といわれるものがあるそうですが、わたしには確認できませんでした。

鎌倉時代に後醍後天皇の倒幕に加担し佐渡に流され、本間一族に惨殺された日野資朝の子供阿新丸が十一面観音の霊力を受け、父の敵を討ち果たしたという伝説からこのような伝えが残っているのかもしれません。

中村栄美子さんの糸魚川のふるさと民話「水保の観音」にもその伝えが描かれています
→ふるさと民話「水保の観音」

糸魚川市 水保日吉社 鳥居口

糸魚川 水保日吉社 杉の大木

水保川をはさんだ対岸には日吉社があり、うっそうとした林のなか、御神木の杉の巨木があります

祭礼は5月1日で神輿渡御が観音堂との間に行われ、かつては舞楽も奉納され賑いを見せたといわれます。

【アクセス】
国道8号線「押上」の信号から南方向222号線に入り、広川集落交差点を右折
糸魚川駅から6km、車で15分。専用駐車場あり無料
サイクリング可能な範囲です
所在地:〒941-0044 新潟県糸魚川市水保

糸魚川市 水保観音堂 地図

糸魚川市 水保観音ー日吉社 地図

[拝観予約・お問合せ]
西海地区公民館 TEL 025-552-0268(8:30~17:00)

根知駒ケ岳の日本一のツララ

根知谷(ねちだに)に入ると、ドスンと正面に構えているのが標高1487メートルの駒ケ岳
山を見据えながら徐々に国道を上っていくと、駒ケ岳は左手に移動し、正面に雨飾山(あまかざりやま:日本百名山)山頂がきらめく
約10分ほど谷あいを車で上れば山口地区のシーサイドバレースキー場の駐車場が右手にあります
日本海を望めるスキー場として、気軽に来れる近さも人気で、駐車場には乗用車、大型バスも停まってます。
この駐車場から駒ケ岳方向をみれば、ほら「カネッコオリ」が見えます。


「カネッコオリ」とは地元で呼ばれる巨大なツララ(氷柱)のことで、カネコロン、カネコロとか呼び方も様々
駒ケ岳南壁の糸滝と呼ばれる水量の少ない細い滝が、毎年2月近くになると頂上付近のブナ林からしみ出す水量が増し凍結、「十一面カネコロン」と呼ぶ人もいます


その長さは100メートルを越えるともいわれる冬の風物詩
寒いばかりでは大きな塊になるだけだろうし、もちろん暖かければ凍るはずもないわけで
この根知谷特有の微妙な寒暖の繰り返しがカネッコオリを成長させていくのだと言われています
自然が作り出すツララの中では日本最大級の長さと。


山は険しく雪も深いため近くに行くことは叶わないし、目を据えないと見分けがつかない
よくよく見ると青白い氷の帯が造りだした巨大なカネッコリ、見事です

例年3月末くらいまで確認できるといいます
シーサイドバレースキー場に来た折には是非ともご覧あれ
毎年ニュースとなり、新聞や映像で報道紹介される糸魚川の風物詩です。



芭蕉と市振

市振関所跡

市振関所跡
糸魚川市の西端市振(いちぶり)は富山県との県境、親不知子不知の険難の地を東方に控え、北陸道に於ける越中との国境の要衝として、寛永(1624~)年代のはじめ江戸幕府は高田城主松平光長に命じて、ここに関所を設け街道行旅の人々を取り締まりました
ここ「市振の関」は、全国53関の中の重要23関のひとつ。

市振関所図

関所は、行旅の人々の検問のための番所と海上監視の遠見番所から成っていました
敷地は、集落の西方、東西に延びる街道を挟み、東西21間、南北95間で、面積は6反6畝15歩
その中に「番所」「上役長屋」「足軽長屋」「遠見番所」「井戸」等があり、また西門に近く「馬ノ足洗井戸」がありました。

市振関所跡・榎

関所敷地にあった樹齢250年の榎が市振小学校(平成30年3月31日閉校)の校庭に今もなお残っています。

長円寺境内の芭蕉句碑

長円寺境内の芭蕉句碑
「奥の細道」の松尾芭蕉が1689年に一振りに泊まり「一つ家に遊女も寝たり萩と月」の句を残しました
市振(いちぶり)は越後と越中の国境にあり、越後の関所第一番の「振りだし」なので「一ふり」です
句碑は、大正14年4月に糸魚川市出身の文豪相馬御風が市振を訪れた際に建碑計画を聞き、筆をとったもの。

芭蕉が宿泊したと伝えられる桔梗屋は、大正3(1914)年3月17日の市振大火で焼失し、昔を伝える記録等は残されていません。

市振・海道の松

海道の松(かいどうのまつ)
新潟県糸魚川市大字市振に生育していたクロマツの巨木
北陸道の宿場であった市振集落の東のはずれにそびえ、樹齢は推定約230年
難所として知られる親不知への出入り口の目印として、北陸道を往来する旅人たちに古くから親しまれ市振地区のランドマークでした。
残念かな2016年(平成28年)10月の台風18号の暴風害を受けて倒壊、現在は後継樹を育てています。

市振・(新)海道の松

国立研究開発法人森林総合研究所林木育種センター(茨城県日立市)が2015年(平成27年)の冬に海道の松の枝を採取しており、原木と同じ遺伝子を持つ後継樹を育てられる可能性があるという。

市振・海道の松

弘法の井戸
市振町中にある伝説の井戸です。
弘法大師(空海)が市振を訪れた際、水を一杯所望したところ茶屋の婆さんは十数町離れた赤崎のチベタ(冷水)を汲んでさしあげました。
近くに清水が湧き出さないこと知り、足元の土を杖で三度突いたところ、こんこんと水が湧いてきたといいます。
これが弘法の井戸です。

市振マップ
市振マップ

玉の木八十八ケ所巡り

糸魚川市の最西端、県境の集落「玉の木」の裏手に観音山があり、この山に霊場八十八ヶ所があります。
普門庵

普門庵の裏手の急な階段が八十八ヶ所巡りの入口です。
急な階段

海抜七十メートルの山頂を高野山と呼び、山頂に向かって石仏が八十八体間隔をおいて置かれています
一番 釈迦如来

五番 地蔵菩薩

九番 釈迦牟尼如来

二十一番 虚空蔵菩薩

二十八番 大日如来

八十一番 千手観音菩薩

八十五番 観世音菩薩

八十八番 薬師如来

頂上には高野山弘法大師と四国弘法大師の石仏があります
高野山弘法大師・四国弘法大師

日本海が見下ろせ市振漁港が望めます
市振漁港

海には濃紺色の雲の影ができ、時と共に移り変わる様が印象に残りました。
石仏を一体一体拝みながら登り下りすると2時間程度の行程となります

歴史)
この霊場の創設開祖は上野教道尼(きょうどうに)
十八歳で市振の曹洞宗月照山長円寺の養女となり、廃寺となっていた普門庵(ふもんあん)を起こし、長円寺の末寺として住職となりました
教道尼は高い仏心を持し、西国の霊場を生涯十数度にも及び旅し、近郷の篤志家に寄進を求め明治三十年頃より順次この霊場作りを進めました
明治三十七年頃までには高野山まで達し、遠く西国の霊場巡りをこの地で行うことができるようにしたのです。以後、毎年六月十八日を「観音祭り」とし、この霊場には多くの人が訪れるようになりました。
教道尼は、仏心の深い優れた尼僧を何人も育て、多くの慈善事業をし、身寄りのない子女の養育十余名、日本赤十字社の事業寄付、被災者への救護援助、村人への施しなど数えきれない行いをされています。
生活を切り詰め、托鉢によって得た浄財を全て施しに費やした人生でした。
昭和七年六月十九日、七十八年の生きた菩薩の生涯を閉じました。
弔いの葬儀は新聞にも報道され、今なお語り伝えられています。

毎年6月18日は「観音祭り」が開催されます。「玉の木八十八ケ所巡り」を前に、地元郷土史研究家蛭子健治(故人)先生が名調子で説明されていたことを思い出します。
蛭子健治先生の名調子

中村栄美子(故人)さんの紙芝居、糸魚川(いといがわ)・西頸城(にしくびき)の民話 「玉の木の八十八ケ所[市振]」の表紙絵


玉の木八十八ケ所巡りMAP


経王寺の梵鐘と中村五兵衛

経王寺(きょうおうじ)は慶長元年(1596年)に日言上人が中興開山した糸魚川市新鉄の日蓮宗の寺。山号は守栄山、旧本山は立本寺

経王寺の梵鐘
経王寺の梵鐘

天津神社の別当だった宮神宮寺が所有していましたが、明治初年の神仏毀釈により宮神宮寺が廃寺となったため経王寺に移されました。
梵鐘には

奉建立天津神宮寺鐘一口
           越中国前沢金屋大工藤原末次沙弥了性
  大旦那 糸井河道浄次郎左衛門尉
永享四年壬子九月九日 敬白

とあり、製造年代、奉納者、製作者が明確のものとしては新潟県最古の梵鐘とされます
越中国前沢出身の藤原末次沙弥了性作で、永享四年(1433年)糸井河道浄次郎左衛門が奉納したものです
また越中の黒部(富山県黒部市)系鋳物師の作で、本県に現存する数少ない中世の梵鐘として貴重であることから昭和47年(1972年)に新潟県指定文化財に指定されました
全国寺院から供出され太平洋戦争で弾丸とされた鐘も多くある中で、かろうじて難を免れた尊い鐘
朝夕町中に響き渡る音を静かに聴いてみてください。

上杉謙信の指定した塩問屋「中村五兵衛」の墓 中村五兵衛の墓

経王寺本堂の真裏、石塀に囲まれた中にその墓はあります
中村五兵衛の墓

墓頭に家紋付きで切妻風の屋根が付き、正面に「南無妙法蓮華経先祖代々之塔」、左側面に「上杉謙信公塩御用問屋 中村性十二代五兵衛義行」
塩の道は戦国時代の武将・上杉謙信が、敵将・武田信玄の領国が塩不足に苦しんでいるのを知り、塩を送らせた道で「義塩の故事」の舞台になったと伝えられています

「道路元標」石標が加賀街道と松本街道が交差する十字路(地名四つ角)に立っています
ここから北側は直ぐ海岸となっていて、江戸時代の北前船や明治・大正時代には蒸気船が発着していました
日本海から揚げられた荷物はこの周辺に集荷され、白馬通りに塩問屋や、荷物を運ぶ牛を休憩時に繋いでいた「牛つなぎ石」など塩の道が続きます
四つ角付近は昔の糸魚川の町の中心部でもあり大いに賑わった所であったわけです
中村五兵衛の墓は当時の塩問屋の権勢を伝えます。

経王寺共同墓地

糸魚川には日蓮宗の寺院は経王寺のみです。400年前から続く門徒もあり、狭い寺院敷地の中で多くの墓が所狭しと建っています
新しい墓地も少なく家族制度も変わりつつある現代、墓を管理する世の事情も変化したこともあり、近年共同供養塔が建てられました
多くの供養を受けただろうお盆明けの朝、夏空に堂とした石塔が目立ちました。

経王寺周辺マップ
経王寺MAP

強羅めぐり

強羅とは、古代インドのサンスクリット語「ゴーラ」が転じて「ごうら」と付けられたと言われていますが、意味は「石の地獄」
箱根強羅が地名としては有名ですが、糸魚川市早川谷の月不見の池(ついみずのいけ)の周りの巨礫群はまさに強羅。

海谷山塊の一部が地滑りしてできた巨礫の集積地で、約300万年前の海底火山噴出物(火山角礫岩・凝灰角礫岩)です。

八十八カ所巡り が有名にして、あまり観光客も行かない場所ですが、冒険好きなファミリーにはたまらないスポットです
月不見の池の池端に向かわずに右手の道を50mも進むと、強羅めぐりハイキングコースの案内板を見つけることができます。
全長1315m、所要時間1時間30分
強羅めぐり01

ハイキングコースというより探検コース
「一人での入山はご遠慮ください」とあります。一人で行くには不気味な世界、石地獄です
複数人でワイワイしゃべり、驚きの声を発しながら進むのが、楽しく安全でしょう
という私は一人で行きましたが、信じるのは自分だけ、何が出てきてもおかしくない場所でした

五聖殿、子安地蔵尊は人間が介在した証拠、畏れ多い場所に踏み込んでいるのだと感じます
強羅めぐり02

強羅めぐり03

次第に、場所を説明する立札だけの石地獄に変わります
左は壁、右に回り込むのも、岩を乗り越えるのも無理、となればこの真っ暗な岩穴に入るしかない
岩穴の中がどうなっているか真っ暗でまったく先が見えない、不安だけど帰るつもりは無い。
どうなっているかは内緒、この驚きはご自身で体験してください。
強羅めぐり04

自然の力で山から滑り出した巨岩、重なり合った大岩、もう動きはしないと思っても
その隙間にからだが挟み込まれたらどうしようなどと考えると恐怖で進めなくなります
一部暗い場所がありますので、安全のためヘッドライトを持参すると安心です。
強羅めぐり05

強羅めぐり06

不動山城主三本寺隆長隠岩は、近くの不動山城主である三本寺隆長が隠れたという岩。
強羅めぐり07

500年前の歴史が残ってます
不動山城は早川谷の独立峰不動山(標高447m)にあった戦国時代の山城
山本寺(三本寺)氏は、越後守護上杉氏の一族でルーツは朝定
二代目定景の子定長は上杉謙信の近習で、元亀元年(1570)年に上杉景虎(北条三郎)が謙信の養子となるとその守役を命じられた
天正6(1578)年に謙信の後継を上杉景勝と景虎で争った御館の乱では、不動山城は景勝方の攻撃にあい落城、弟の孝長(隆長?)が城主となった
その孝長も天正10年(1582)魚津城で織田信長の家臣柴田勝家軍兵15,000と戦い敗れた。

どれだけの大岩をすり抜けてきたか、徐々に登ってきたようで、
岩を潜り抜けると、山の上に立っていることに気が付きます。
なだらかな山道を下っていくと、やがて月不見の池の背景となる大立岩の横に出ます
(結構高い場所です、池から50mくらいの高さかな)
強羅めぐり08

強羅めぐり09

さらに2分ほど下ると小立岩(展望台)に着きます。
強羅めぐり10

ここも高い場所、安全索につかまりながら恐る恐るその上に立つと絶景、月不見の池を見下ろすことができます。
この景色は観光ガイドに載っていない特別の場所
強羅めぐり11

やがて池端に出て、池の外周を反時計回りに藤棚を眺めながら5分歩けば終点です
お疲れ様
振り返れば池の裏山を潜り歩いたことが実感できます
強羅めぐりは面白い、スゴイ!

ラベンダービーチ、須沢臨海公園(オートキャンプ場)

糸魚川_須沢臨海公園Map

ラベンダービーチ
田海川と青海川の間の田海川寄りの地名は「寺地(てらじ)海岸」ですが、淡紫(ラベンダー)色のヒスイが多く見られることから「ラベンダービーチ(ラベンダー海岸) 」と呼ばれるようになりました
青海川上流のヒスイ峡で産出される珍しいラベンダー色のヒスイが流れ着くようです
糸魚川市内の川にあるヒスイを拾うことは禁止されていますが、海岸で拾うことは禁止されていません

糸魚川_須沢海岸

ヒスイに限らずいろいろな種類の石ころが転がっているので、お気に入りの石拾いに没頭する人もいます
形も様々なので、思い出の石を拾って部屋に飾るのも良いですよ。

糸魚川_須沢臨海2

海を求めて長野方面からやってくる人も多く、盛夏は海に向かって釣り竿がたくさん立ち並びます。

日本海と夕陽

日本海の波音と塩の香り、砂と石の長い海岸線をザクザク足裏で感じ、水平線に沈む真っ赤な夕日を目に刻み込む癒しの場所。
夏の夕方は最高です。

奴奈川(ぬなかわ)姫のオブジェ

ラベンダービーチの目印は「奴奈川(ぬなかわ)姫」のオブジェ
石柱に囲まれ、頭の上にも石柱が載っていて、その重みに耐えているようで複雑な気持ちになります
この近くには寺地遺跡があり、縄文時代に統治した奴奈川族の居住地だという説もあり、当時のヒスイ加工の工程が描かれたレリーフもあります。

国道8号線から海岸側に出る道があり、海岸沿いにもう一本国道沿いの道があります。
ラベンダービーチの広場前には駐車場があり(無料20台)、トイレ・シャワー設備もあります。

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青海シーサイドパーク

青海シーサイドパーク
田海川より東側、姫川の西岸にある、ホっと一息付ける公園で、100台の無料駐車スペースがあります
ラベンダービーチにつながっている場所です、砂と石の海岸線でのんびり、日本海が広い。
ドームなぎさやバーベキュー広場、自転車・ローラースケートコースを備えた多目的レジャーゾーンがあります
無料のトイレ、シャワー施設も完備されていて海水浴の後も安心です
ドームなぎさはドーム型の屋根が目印の大型休憩施設
海水浴やスポーツ時の休憩場所として、イベントなども行えます
施設の全部又は一部を独占して使用する場合は糸魚川市長の許可が必要です。

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須沢臨海公園

須沢臨海公園(須沢オートキャンプ場)
青海シーサイドパークの南側に位置する、こちらは有料施設です
大きな遊具や芝生広場、40mの超ロング滑り台のある多目的広場
スケートボード・ハーフパイプ施設
18ホールそろったパターゴルフ場
2016年の夏にオープンした波の音が聞こえる須沢オートキャンプ場は15区画
電源付きサイトが6区画あり、車の横にテントを張って1泊キャンプが楽しめます

公園に到着したら、まずは管理棟へ
ここで受付や申込、カギの受け渡しなどを行います
チェックインは午後3時から、チェックアウトは翌朝10時です

須沢臨海公園_管理棟

徒歩5分で温浴施設「はぴねす」があります。
海水浴、キャンプ、温浴と3拍子揃ったキャンプ場は珍しいと人気上昇中
温浴施設_はぴねす

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ご利用案内

須沢臨海公園_ご利用案内

注意事項 AccessMAP

須沢臨海公園_注意事項

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