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根知駒ケ岳の日本一のツララ

根知谷(ねちだに)に入ると、ドスンと正面に構えているのが標高1487メートルの駒ケ岳
山を見据えながら徐々に国道を上っていくと、駒ケ岳は左手に移動し、正面に雨飾山(あまかざりやま:日本百名山)山頂がきらめく
約10分ほど谷あいを車で上れば山口地区のシーサイドバレースキー場の駐車場が右手にあります
日本海を望めるスキー場として、気軽に来れる近さも人気で、駐車場には乗用車、大型バスも停まってます。
この駐車場から駒ケ岳方向をみれば、ほら「カネッコオリ」が見えます。


「カネッコオリ」とは地元で呼ばれる巨大なツララ(氷柱)のことで、カネコロン、カネコロとか呼び方も様々
駒ケ岳南壁の糸滝と呼ばれる水量の少ない細い滝が、毎年2月近くになると頂上付近のブナ林からしみ出す水量が増し凍結、「十一面カネコロン」と呼ぶ人もいます


その長さは100メートルを越えるともいわれる冬の風物詩
寒いばかりでは大きな塊になるだけだろうし、もちろん暖かければ凍るはずもないわけで
この根知谷特有の微妙な寒暖の繰り返しがカネッコオリを成長させていくのだと言われています
自然が作り出すツララの中では日本最大級の長さと。


山は険しく雪も深いため近くに行くことは叶わないし、目を据えないと見分けがつかない
よくよく見ると青白い氷の帯が造りだした巨大なカネッコリ、見事です

例年3月末くらいまで確認できるといいます
シーサイドバレースキー場に来た折には是非ともご覧あれ
毎年ニュースとなり、新聞や映像で報道紹介される糸魚川の風物詩です。



芭蕉と市振

市振関所跡

市振関所跡
糸魚川市の西端市振(いちぶり)は富山県との県境、親不知子不知の険難の地を東方に控え、北陸道に於ける越中との国境の要衝として、寛永(1624~)年代のはじめ江戸幕府は高田城主松平光長に命じて、ここに関所を設け街道行旅の人々を取り締まりました
ここ「市振の関」は、全国53関の中の重要23関のひとつ。

市振関所図

関所は、行旅の人々の検問のための番所と海上監視の遠見番所から成っていました
敷地は、集落の西方、東西に延びる街道を挟み、東西21間、南北95間で、面積は6反6畝15歩
その中に「番所」「上役長屋」「足軽長屋」「遠見番所」「井戸」等があり、また西門に近く「馬ノ足洗井戸」がありました。

市振関所跡・榎

関所敷地にあった樹齢250年の榎が市振小学校(平成30年3月31日閉校)の校庭に今もなお残っています。

長円寺境内の芭蕉句碑

長円寺境内の芭蕉句碑
「奥の細道」の松尾芭蕉が1689年に一振りに泊まり「一つ家に遊女も寝たり萩と月」の句を残しました
市振(いちぶり)は越後と越中の国境にあり、越後の関所第一番の「振りだし」なので「一ふり」です
句碑は、大正14年4月に糸魚川市出身の文豪相馬御風が市振を訪れた際に建碑計画を聞き、筆をとったもの。

芭蕉が宿泊したと伝えられる桔梗屋は、大正3(1914)年3月17日の市振大火で焼失し、昔を伝える記録等は残されていません。

市振・海道の松

海道の松(かいどうのまつ)
新潟県糸魚川市大字市振に生育していたクロマツの巨木
北陸道の宿場であった市振集落の東のはずれにそびえ、樹齢は推定約230年
難所として知られる親不知への出入り口の目印として、北陸道を往来する旅人たちに古くから親しまれ市振地区のランドマークでした。
残念かな2016年(平成28年)10月の台風18号の暴風害を受けて倒壊、現在は後継樹を育てています。

市振・(新)海道の松

国立研究開発法人森林総合研究所林木育種センター(茨城県日立市)が2015年(平成27年)の冬に海道の松の枝を採取しており、原木と同じ遺伝子を持つ後継樹を育てられる可能性があるという。

市振・海道の松

弘法の井戸
市振町中にある伝説の井戸です。
弘法大師(空海)が市振を訪れた際、水を一杯所望したところ茶屋の婆さんは十数町離れた赤崎のチベタ(冷水)を汲んでさしあげました。
近くに清水が湧き出さないこと知り、足元の土を杖で三度突いたところ、こんこんと水が湧いてきたといいます。
これが弘法の井戸です。

市振マップ
市振マップ

玉の木八十八ケ所巡り

糸魚川市の最西端、県境の集落「玉の木」の裏手に観音山があり、この山に霊場八十八ヶ所があります。
普門庵

普門庵の裏手の急な階段が八十八ヶ所巡りの入口です。
急な階段

海抜七十メートルの山頂を高野山と呼び、山頂に向かって石仏が八十八体間隔をおいて置かれています
一番 釈迦如来

五番 地蔵菩薩

九番 釈迦牟尼如来

二十一番 虚空蔵菩薩

二十八番 大日如来

八十一番 千手観音菩薩

八十五番 観世音菩薩

八十八番 薬師如来

頂上には高野山弘法大師と四国弘法大師の石仏があります
高野山弘法大師・四国弘法大師

日本海が見下ろせ市振漁港が望めます
市振漁港

海には濃紺色の雲の影ができ、時と共に移り変わる様が印象に残りました。
石仏を一体一体拝みながら登り下りすると2時間程度の行程となります

歴史)
この霊場の創設開祖は上野教道尼(きょうどうに)
十八歳で市振の曹洞宗月照山長円寺の養女となり、廃寺となっていた普門庵(ふもんあん)を起こし、長円寺の末寺として住職となりました
教道尼は高い仏心を持し、西国の霊場を生涯十数度にも及び旅し、近郷の篤志家に寄進を求め明治三十年頃より順次この霊場作りを進めました
明治三十七年頃までには高野山まで達し、遠く西国の霊場巡りをこの地で行うことができるようにしたのです。以後、毎年六月十八日を「観音祭り」とし、この霊場には多くの人が訪れるようになりました。
教道尼は、仏心の深い優れた尼僧を何人も育て、多くの慈善事業をし、身寄りのない子女の養育十余名、日本赤十字社の事業寄付、被災者への救護援助、村人への施しなど数えきれない行いをされています。
生活を切り詰め、托鉢によって得た浄財を全て施しに費やした人生でした。
昭和七年六月十九日、七十八年の生きた菩薩の生涯を閉じました。
弔いの葬儀は新聞にも報道され、今なお語り伝えられています。

毎年6月18日は「観音祭り」が開催されます。「玉の木八十八ケ所巡り」を前に、地元郷土史研究家蛭子健治(故人)先生が名調子で説明されていたことを思い出します。
蛭子健治先生の名調子

中村栄美子(故人)さんの紙芝居、糸魚川(いといがわ)・西頸城(にしくびき)の民話 「玉の木の八十八ケ所[市振]」の表紙絵


玉の木八十八ケ所巡りMAP


経王寺の梵鐘と中村五兵衛

経王寺(きょうおうじ)は慶長元年(1596年)に日言上人が中興開山した糸魚川市新鉄の日蓮宗の寺。山号は守栄山、旧本山は立本寺

経王寺の梵鐘
経王寺の梵鐘

天津神社の別当だった宮神宮寺が所有していましたが、明治初年の神仏毀釈により宮神宮寺が廃寺となったため経王寺に移されました。
梵鐘には

奉建立天津神宮寺鐘一口
           越中国前沢金屋大工藤原末次沙弥了性
  大旦那 糸井河道浄次郎左衛門尉
永享四年壬子九月九日 敬白

とあり、製造年代、奉納者、製作者が明確のものとしては新潟県最古の梵鐘とされます
越中国前沢出身の藤原末次沙弥了性作で、永享四年(1433年)糸井河道浄次郎左衛門が奉納したものです
また越中の黒部(富山県黒部市)系鋳物師の作で、本県に現存する数少ない中世の梵鐘として貴重であることから昭和47年(1972年)に新潟県指定文化財に指定されました
全国寺院から供出され太平洋戦争で弾丸とされた鐘も多くある中で、かろうじて難を免れた尊い鐘
朝夕町中に響き渡る音を静かに聴いてみてください。

上杉謙信の指定した塩問屋「中村五兵衛」の墓 中村五兵衛の墓

経王寺本堂の真裏、石塀に囲まれた中にその墓はあります
中村五兵衛の墓

墓頭に家紋付きで切妻風の屋根が付き、正面に「南無妙法蓮華経先祖代々之塔」、左側面に「上杉謙信公塩御用問屋 中村性十二代五兵衛義行」
塩の道は戦国時代の武将・上杉謙信が、敵将・武田信玄の領国が塩不足に苦しんでいるのを知り、塩を送らせた道で「義塩の故事」の舞台になったと伝えられています

「道路元標」石標が加賀街道と松本街道が交差する十字路(地名四つ角)に立っています
ここから北側は直ぐ海岸となっていて、江戸時代の北前船や明治・大正時代には蒸気船が発着していました
日本海から揚げられた荷物はこの周辺に集荷され、白馬通りに塩問屋や、荷物を運ぶ牛を休憩時に繋いでいた「牛つなぎ石」など塩の道が続きます
四つ角付近は昔の糸魚川の町の中心部でもあり大いに賑わった所であったわけです
中村五兵衛の墓は当時の塩問屋の権勢を伝えます。

経王寺共同墓地

糸魚川には日蓮宗の寺院は経王寺のみです。400年前から続く門徒もあり、狭い寺院敷地の中で多くの墓が所狭しと建っています
新しい墓地も少なく家族制度も変わりつつある現代、墓を管理する世の事情も変化したこともあり、近年共同供養塔が建てられました
多くの供養を受けただろうお盆明けの朝、夏空に堂とした石塔が目立ちました。

経王寺周辺マップ
経王寺MAP

強羅めぐり

強羅とは、古代インドのサンスクリット語「ゴーラ」が転じて「ごうら」と付けられたと言われていますが、意味は「石の地獄」
箱根強羅が地名としては有名ですが、糸魚川市早川谷の月不見の池(ついみずのいけ)の周りの巨礫群はまさに強羅。

海谷山塊の一部が地滑りしてできた巨礫の集積地で、約300万年前の海底火山噴出物(火山角礫岩・凝灰角礫岩)です。

八十八カ所巡り が有名にして、あまり観光客も行かない場所ですが、冒険好きなファミリーにはたまらないスポットです
月不見の池の池端に向かわずに右手の道を50mも進むと、強羅めぐりハイキングコースの案内板を見つけることができます。
全長1315m、所要時間1時間30分
強羅めぐり01

ハイキングコースというより探検コース
「一人での入山はご遠慮ください」とあります。一人で行くには不気味な世界、石地獄です
複数人でワイワイしゃべり、驚きの声を発しながら進むのが、楽しく安全でしょう
という私は一人で行きましたが、信じるのは自分だけ、何が出てきてもおかしくない場所でした

五聖殿、子安地蔵尊は人間が介在した証拠、畏れ多い場所に踏み込んでいるのだと感じます
強羅めぐり02

強羅めぐり03

次第に、場所を説明する立札だけの石地獄に変わります
左は壁、右に回り込むのも、岩を乗り越えるのも無理、となればこの真っ暗な岩穴に入るしかない
岩穴の中がどうなっているか真っ暗でまったく先が見えない、不安だけど帰るつもりは無い。
どうなっているかは内緒、この驚きはご自身で体験してください。
強羅めぐり04

自然の力で山から滑り出した巨岩、重なり合った大岩、もう動きはしないと思っても
その隙間にからだが挟み込まれたらどうしようなどと考えると恐怖で進めなくなります
一部暗い場所がありますので、安全のためヘッドライトを持参すると安心です。
強羅めぐり05

強羅めぐり06

不動山城主三本寺隆長隠岩は、近くの不動山城主である三本寺隆長が隠れたという岩。
強羅めぐり07

500年前の歴史が残ってます
不動山城は早川谷の独立峰不動山(標高447m)にあった戦国時代の山城
山本寺(三本寺)氏は、越後守護上杉氏の一族でルーツは朝定
二代目定景の子定長は上杉謙信の近習で、元亀元年(1570)年に上杉景虎(北条三郎)が謙信の養子となるとその守役を命じられた
天正6(1578)年に謙信の後継を上杉景勝と景虎で争った御館の乱では、不動山城は景勝方の攻撃にあい落城、弟の孝長(隆長?)が城主となった
その孝長も天正10年(1582)魚津城で織田信長の家臣柴田勝家軍兵15,000と戦い敗れた。

どれだけの大岩をすり抜けてきたか、徐々に登ってきたようで、
岩を潜り抜けると、山の上に立っていることに気が付きます。
なだらかな山道を下っていくと、やがて月不見の池の背景となる大立岩の横に出ます
(結構高い場所です、池から50mくらいの高さかな)
強羅めぐり08

強羅めぐり09

さらに2分ほど下ると小立岩(展望台)に着きます。
強羅めぐり10

ここも高い場所、安全索につかまりながら恐る恐るその上に立つと絶景、月不見の池を見下ろすことができます。
この景色は観光ガイドに載っていない特別の場所
強羅めぐり11

やがて池端に出て、池の外周を反時計回りに藤棚を眺めながら5分歩けば終点です
お疲れ様
振り返れば池の裏山を潜り歩いたことが実感できます
強羅めぐりは面白い、スゴイ!

ラベンダービーチ、須沢臨海公園(オートキャンプ場)

糸魚川_須沢臨海公園Map

ラベンダービーチ
田海川と青海川の間の田海川寄りの地名は「寺地(てらじ)海岸」ですが、淡紫(ラベンダー)色のヒスイが多く見られることから「ラベンダービーチ(ラベンダー海岸) 」と呼ばれるようになりました
青海川上流のヒスイ峡で産出される珍しいラベンダー色のヒスイが流れ着くようです
糸魚川市内の川にあるヒスイを拾うことは禁止されていますが、海岸で拾うことは禁止されていません

糸魚川_須沢海岸

ヒスイに限らずいろいろな種類の石ころが転がっているので、お気に入りの石拾いに没頭する人もいます
形も様々なので、思い出の石を拾って部屋に飾るのも良いですよ。

糸魚川_須沢臨海2

海を求めて長野方面からやってくる人も多く、盛夏は海に向かって釣り竿がたくさん立ち並びます。

日本海と夕陽

日本海の波音と塩の香り、砂と石の長い海岸線をザクザク足裏で感じ、水平線に沈む真っ赤な夕日を目に刻み込む癒しの場所。
夏の夕方は最高です。

奴奈川(ぬなかわ)姫のオブジェ

ラベンダービーチの目印は「奴奈川(ぬなかわ)姫」のオブジェ
石柱に囲まれ、頭の上にも石柱が載っていて、その重みに耐えているようで複雑な気持ちになります
この近くには寺地遺跡があり、縄文時代に統治した奴奈川族の居住地だという説もあり、当時のヒスイ加工の工程が描かれたレリーフもあります。

国道8号線から海岸側に出る道があり、海岸沿いにもう一本国道沿いの道があります。
ラベンダービーチの広場前には駐車場があり(無料20台)、トイレ・シャワー設備もあります。

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青海シーサイドパーク

青海シーサイドパーク
田海川より東側、姫川の西岸にある、ホっと一息付ける公園で、100台の無料駐車スペースがあります
ラベンダービーチにつながっている場所です、砂と石の海岸線でのんびり、日本海が広い。
ドームなぎさやバーベキュー広場、自転車・ローラースケートコースを備えた多目的レジャーゾーンがあります
無料のトイレ、シャワー施設も完備されていて海水浴の後も安心です
ドームなぎさはドーム型の屋根が目印の大型休憩施設
海水浴やスポーツ時の休憩場所として、イベントなども行えます
施設の全部又は一部を独占して使用する場合は糸魚川市長の許可が必要です。

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須沢臨海公園

須沢臨海公園(須沢オートキャンプ場)
青海シーサイドパークの南側に位置する、こちらは有料施設です
大きな遊具や芝生広場、40mの超ロング滑り台のある多目的広場
スケートボード・ハーフパイプ施設
18ホールそろったパターゴルフ場
2016年の夏にオープンした波の音が聞こえる須沢オートキャンプ場は15区画
電源付きサイトが6区画あり、車の横にテントを張って1泊キャンプが楽しめます

公園に到着したら、まずは管理棟へ
ここで受付や申込、カギの受け渡しなどを行います
チェックインは午後3時から、チェックアウトは翌朝10時です

須沢臨海公園_管理棟

徒歩5分で温浴施設「はぴねす」があります。
海水浴、キャンプ、温浴と3拍子揃ったキャンプ場は珍しいと人気上昇中
温浴施設_はぴねす

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ご利用案内

須沢臨海公園_ご利用案内

注意事項 AccessMAP

須沢臨海公園_注意事項

奴奈川姫母子像

糸魚川駅北口(日本海口)を出て、北に150m直進すれば目の前は日本海
北陸新幹線で日本海に一番近い駅が糸魚川駅
日本海展望台に立てば日本海が丸い。海に沈む夏の太陽と空と海のグラデーションには言葉を失う
南には頸城山塊が聳え、その先には6月もなお残雪の北アルプス乗鞍・小蓮華・白馬岳が光る
日本海展望台
糸魚川_日本海展望台

駅前海望公園には奴奈川姫(ぬなかわひめ)像が建てられ、その瞳ははるか出雲(島根県)を仰ぎ見る
奴奈川姫(ぬなかわひめ)像

奴奈川姫は古代文献に登場する高志国の姫であるという伝説がある
『古事記(こじき)』では出雲国(今の島根県)の大国主命(おおくにぬしのみこと)が沼河比売(= ぬなかわひめ)に求婚に来たとあり、
『出雲風土記(いずもふどき)』では大国主命が奴奈宜波比売(=ぬなかわひめ)と結婚して御穂須々美(みほすすみ)命を生み、この神が美保に鎮座していると記されている。
古事記上巻より
古事記上巻より

万葉集(まんようしゅう)巻13-3247番より
万葉集(まんようしゅう)巻13-3247番より

奴奈川姫を祭る神社、地名、遺跡が糸魚川・西頚城地方に多く、考古学的資料にも恵まれていることで、高志の国(越の国)の奴奈川族の長である奴奈川姫と、大国主命の国取り物語や、ヒスイ勾玉文化が
糸魚川=越の国の奴奈川族の居住地
と考える人も少なくない。

さまざまな奴奈川姫伝説を見る→

奴奈川姫に寄り添う子供は建御名方命(たけみなかたのみこと)。奴奈川姫と大国主命の間に生まれた子であり、のちの諏訪大社の神様
いずれにしても糸魚川は奴奈川姫伝説が多く興味深い場所である

2015年、上越市在住の川崎日香浬氏が、出雲大社と諏訪大社に大日本画を寄進
2018年、糸魚川・諏訪・出雲の3市を結ぶ交流団体「神話で結ぶご縁の会」が発足
2018年、糸魚川天津神社に川崎日香浬氏の大日本画が奉納
3市の連携事業や、市民講座もあり、地元の奴奈川姫への思いは熱い。

糸魚川の物産から
 大吟醸酒 奴奈川族→
 純米吟醸酒 奴奈姫→
 大吟醸酒 奴奈川姫 賢し女(さかしめ)→
 純米吟醸酒 奴奈川姫 麗し女(くわしめ)→
 特別本醸造酒 翡翠→
 特別本醸造酒 翡翠(生貯蔵)5本入り→
 コシヒカリ米、令和4年度産勾玉(まがたま)米→
 新米勾玉米 もち米1.0Kg→
 明日葉入りひすい麺「姫の糸」3束→

戸倉山(とくらやま)に登ろう

糸魚川市の戸倉山(とくらやま)は標高975mと高くありませんが眺望の良い山で、登山者に人気の低山です
毎日のように登っておられる方もあったり、富山県からの登山者も結構多いのは、日本海と北アルプス、頸城山塊の景色の美しさからでしょう。
市内の美山(みやま)公園から大野(おおの)地区を見下ろすと、国道148号線が南進する前方に、こんもり見える優しげな山が戸倉山
戸倉山1

手前にはシーサイドバレースキー場のゲレンデが見えますが、その南側が戸倉山
戸倉山2

登山するには「しろ池の森駐車場」まで車で行きましょう。駐車場からしろ池までは舗装された道路を歩いていけます
舗装されていない道もいくつかあるので、登山を楽しみたい方はしっかりした靴で踏み込んでいってください
歩き出すとすぐ目の前に、戸倉山の山を見上げることができます。想像通りそれほど高いようには見えません
戸倉山3

歩き出して25分ほどで、しろ池に到着。フォトスポットとしても知られている場所です。
独特の濃いブルーの水を湛え、頸城山塊(駒ケ岳、鬼が面、鋸山)の厳しい岩肌と、日本百名山の雨飾山が湖面に映ります。
戸倉山・しろ池

一息ついたら次は角間池をめざします
30分程の登り坂ではしっかり汗が出てきます。スニーカーの方は諦めたほうがよろしいようです
この道は「塩の道東回りコース」です。角間池を過ぎ大網峠を越え平岩方面に抜ける道ですが、大網峠からの道は荒れています。
神秘的な角間池で2回目の休憩。
戸倉山・角間池

この辺り一帯はブナ林。
ブナは糸魚川市の「市の木」、水をたっぷり含んで大きく育ったブナの樹林は、春は新緑、秋は落葉、涼しい林の中で自然を堪能できます
降雪に負けることなく頑張り続ける「根曲りブナ」もあちこちに見受けられます
ブナの木に耳を付ければ、樹の中を通り抜ける水の音が聞こえてきます。

角間池で戸倉山山頂方面への分岐となります。右手方向が戸倉山、ここからさらに登りになります
ブナ林を抜け、空が明るくなる40分ほど登れば頂上です、おおむねスタートから1時間半で山頂です(標高差430m)
戸倉山4

晴れていれば、佐渡島、能登半島までも見渡すことができる日本海
東正面には日本百名山の雨飾山1963mが大きく聳えます
新潟県から雨飾山が一番近くに見えるのが戸倉山です
戸倉山から雨飾山を望む

西には、黒姫山1221m、明星山1188m
戸倉山から明星山を望む

栂海新道の稜線から北アルプス(朝日岳、雪倉岳、白馬岳、小蓮華岳、乗鞍岳)の山々が連なります
戸倉山から北アルプスを望む

帰りは来た道を戻ります、ゆっくり下って1時間15分程度
頂上でお昼を食べるか、下山後にお昼にするか、短時間で満足できる今話題の「日本百低山」で撮影に来て欲しい山です。
糸魚川にきない

冬期は積雪が多い場所です。市内はゼロでも戸倉山ではタップリ積雪のある3月
「しろ池の森駐車場」まで来ることはできませんが、スノーシューを付けて山を楽しむ人もたくさん
夏場の登山道を無視して白銀の野山を歩き回れるウサギやキツネになった気分
冬も面白い戸倉山です
戸倉山・スノーシュー

【アクセス】
登山口までのアクセス
北陸自動車道「糸魚川IC」から車で国道148号線を白馬方面へ走り、「根知谷入口」の信号を左折し県道225号へ
道なりに進むと「しろ池の森駐車場」へ到着する、所要時間30分
しろ池の森問合せ先 :根知地区公民館 糸魚川市根大字和泉355-3 TEL.025-558-2002
しろ池の森開設期間 :5月上旬〜11月上旬 冬期は雪で閉鎖
しろ池の森 駐車場 :台数60台、無料
問合せ先:糸魚川市観光協会 TEL.025-552-1742

(参考)登山タイムスケジュール
登り:しろ池の森の駐車場―(25分)―しろ池―(30分)―角間池―(40分)―戸倉山山頂 所要時間:1時間35分

下り:戸倉山山頂―(30分)―角間池―(20分)―しろ池―(25分)―しろ池の森の駐車場 所要時間:1時間15分

戸倉山マップ

糸魚川には「しろ池」と「白池(しらいけ)」の2つの場所がありますので気を付けてください
しろ池は雨飾山麓で根知谷の奥
白池は平岩(ひらいわ)から蓮華温泉に向かう白池森林公園にあり、蓮華白池とも呼ばれます

越後八十八ヵ所巡り

  糸魚川ジオパーク「月不見の池ジオサイト(エリア)」にある越後八十八ヵ所では、ミニ八十八ヵ所霊場巡りを体験できます。
阿波国・土佐国・伊予国・讃岐国の四国の名称を取り込んであり、四国巡礼と同じ霊場を設定した88体の石仏を巡るコースで、四国の寺院の土砂が石仏の下に敷いてあります。
この地は地すべりが運んできた巨大な岩石が集まっているところで、巨礫と巨礫のすき間や、巨礫に入った割れ目等、奇石・巨岩の自然を活かし、迷路のような岩と岩のすき間や割れ目を通ります。
郷土の有名な僧の羅漢和尚(本名玉瑞和尚)が長年の行脚で資金を集め1866年(慶応2年)に完成した霊場で、地域の人たちが四国まで行かなくてもここを巡礼することで平穏な幸福な人生が送れることを願って、15年かけて完成されました。

土地は私有地ですので、入場前に所有者の樋口さんに(入場料200円)許可を戴いて下さい。
入場される方はトレッキングのつもりで準備して注意してお出かけください。マムシ(蛇、蝮)が出る場所です。

地獄谷
越後八十八ヵ所_地獄谷

1番~88番までの延長距離1,805m 上り65m / 下り67m
広さ東西500m、南北300m
面積31,000㎡
所要時間約2時間。

八十八ヵ所順路図
越後八十八ヵ所_順路図

[見どころ]
・地獄谷=百畳敷の大岩の間に岩がはさまっている。底から見上げた景色は圧巻
・黄泉の洞窟=硫黄でできていると言われている
・天掛橋=天国と下界をつなぐ橋
・酒盛り岩=御尊体の付近を踏ん張ると「どんどん」と音がする
・文殊坂=「文殊師利菩薩」の坂でここを通るといい知恵が浮かぶといわれている
・天狗の投岩=二つの大岩の間に挟まる丸い岩。天狗が力試しに投げたといわれている
・一の宮=全国54余りの神々が集う場所
・さいの河原=死後に行くという冥途の河原。水子を供養する石が積まれている
・胎内くぐり=岩の隙間をやっとくぐる場所
・鬼返し=鬼が来てもこれ以上来られない難所
・猿の横顔=洞穴内の岩を横から見ると猿の顔に似ている岩
・見送り岩=順路の最後、巡礼を成就しその思いと別れる岩

[参考]
糸魚川ジオパークのおじさんのブログ→

糸魚川ジオパーク「月不見の池ジオサイト(エリア)」→

Yamap 越後八十八ヶ所のアドベンチャールート探検・写真→

月不見の池ジオサイト
月不見の池ジオサイト

谷村美術館、澤田政廣と村野藤吾

谷村美術館は是非とも糸魚川で立ち寄って頂きたいお奨めの美術館です、毎週火曜日が休館日
展示点数は多くありませんが、澤田政廣の力強く生命感にあふれた作品に感動します
写真撮影は禁止です、湧き上がる温かな思いを心に刻み込んで、糸魚川の思い出にしてください。

住所 〒941-0054 糸魚川市京ケ峰2-1-13
   TEL:025-552-9277
   HP:http://gyokusuien.jp

谷村美術館外観
谷村美術館外観

玉翠園ホールからの庭園景観
玉翠園ホールからの庭園景観1

玉翠園ホールからの庭園景観2

谷村美術館は1983年に開館、2023年で40周年を迎えます
・彫刻家・澤田政廣(美術館常設展示仏像作品)
・建築家・村野藤吾(シルクロード遺跡をイメージした外観建築)
・造園家・中根金作(足立美術館を手がけた庭園家)

澤田政廣(さわだせいこう1894~1988)氏
熱海市生まれの彫刻家、熱海市には澤田政廣記念美術館があります。

中根金作氏
「昭和の小堀遠州」とも言われ、代表作が海外の日本庭園誌で10年以上1位を守り続けている「足立美術館庭園」
京都の城南宮、大阪の大仙公園、福岡の大濠公園など、国内外で300以上の庭園を手掛けました。

村野藤吾氏設計建築作品(Wikipediaより)あなたのお住まいの近くにありませんか?
1935年 - そごう大阪店 (大阪市中央区/現存しない)
1936年 - 大丸神戸店 (兵庫県神戸市/現存しない)
1937年 - 宇部市渡辺翁記念会館(山口県宇部市/重要文化財)
1937年 - 叡山ホテル (現存しない/志摩観光ホテル東館に一部を移築)
1938年 - 大庄村役場 (現 尼崎市立大庄公民館/兵庫県尼崎市/登録有形文化財)
1939年 - 宇部銀行本店 (現 旧宇部銀行館/山口県宇部市)
1940年 - 橿原神宮駅舎 (現 橿原神宮前駅/奈良県橿原市)
1951年 - 百貨店ヤマトヤシキ (兵庫県姫路市/1951年―1975年)
1951年 - 志摩観光ホテル (東館1951年、西館1960年、本館1969年、宴会棟1983年/三重県志摩市)
1952年 - 高島屋東京店増築 (東京都中央区/重要文化財)
1953年 - 丸栄本館増築 (名古屋市中区)
1954年 - 世界平和記念聖堂 (広島市中区/重要文化財)
1955年 - 関西大学 第一学舎・簡文館 (大阪府吹田市/登録有形文化財)
1955年 - 八幡市立図書館(現 北九州市立八幡図書館/北九州市八幡東区)
1955年 - ドウトン(現コムラードドウトンビル/大阪市中央区)
1956年 - 神戸新聞会館 (神戸市中央区/現存しない)
1957年 - 読売会館 (現 ビックカメラ有楽町店本館/東京都千代田区)
1957年 - 東京丸物 (現 池袋パルコ/東京都豊島区)
1958年 - 新歌舞伎座 (大阪市中央区/現存しない)
1958年 - 八幡市民会館 (北九州市八幡東区/BCS賞)
1958年 - 米子市公会堂 (鳥取県米子市)
1959年 - 横浜市庁舎 (横浜市中区)
1959年 - 佳水園 (現 ウェスティン都ホテル京都 和風別館/京都市東山区)
1959年 - 小倉市民会館 (北九州市小倉北区/現存しない)
1959年 - 泉州銀行本店 (大阪府岸和田市)
1959年 - 高木産業ビル (大阪市中央区)
1960年 - 都ホテル新館 (現 ウェスティン都ホテル京都・本館/京都市東山区)
1962年 - 早稲田大学文学部校舎 (東京都新宿区/33号館は現存しない、31・32号館は現存)
1962年 - 尼崎市庁舎 (兵庫県尼崎市/BCS賞)
1963年 - 日本生命日比谷ビル(日生劇場/東京都千代田区)
1963年 - 熊本市水道局 (現存しない)
1963年 - 梅田換気塔 (大阪市北区)
1963年 - 名古屋都ホテル (名古屋市中村区/現存しない)
1964年 - 関西大学 円神館 (大阪府吹田市)
1964年 - 甲南女子大学 (兵庫県神戸市東灘区)
1964年 - 千里南センタービル (大阪府吹田市)
1965年 - カトリック宝塚教会 (兵庫県宝塚市)
1966年 - 千代田生命保険本社ビル (現 目黒区総合庁舎/東京都目黒区/BCS賞)
1968年 - 桜井寺 (奈良県五條市)
1969年 - シトー会西宮の聖母修道院(西宮トラピスチヌ修道院) (兵庫県西宮市)
1969年 - ルーテル学院大学 (東京都三鷹市)
1970年 - 兵庫県立近代美術館(現 兵庫県立美術館 原田の森ギャラリー/神戸市灘区)
1970年 - 帝国ホテル茶室 - 東光庵 (東京都千代田区)
1971年 - 箱根樹木園休息所 (神奈川県箱根町/BCS賞)
1971年 - 北九州八幡信用金庫本店(現 福岡ひびき信用金庫本店/北九州市八幡東区)
1972年 - 高輪プリンスホテル貴賓館 改修 (旧 竹田宮邸/東京都港区)
1974年 - 迎賓館本館 改修 (旧 赤坂離宮/東京都港区)
1974年 - 日本興業銀行本店 (現 みずほコーポレート銀行本店/東京都千代田区/BCS賞)
1975年 - 西山記念会館 (神戸市中央区/現存しない)
1975年 - 小諸市立小山敬三美術館 (長野県小諸市)
1976年 - 麹町ダイビル (東京都千代田区)
1976年 - 常陸宮邸
1978年 - 箱根プリンスホテル (現 ザ・プリンス箱根/神奈川県箱根町/BCS賞)
1978年 - 千里市民センター (大阪府吹田市)
1979年 - 都ホテル東京 (現 シェラトン都ホテル東京/内装のみ/東京都港区/全体構成はミノル・ヤマサキの設計)
1979年 - 松寿荘 (出光興産ゲストハウス/東京都港区/現存しない)
1979年 - 八ヶ岳美術館 (長野県原村)
1980年 - 宝塚市庁舎 (兵庫県宝塚市)
1982年 - 新高輪プリンスホテル (現 グランドプリンスホテル新高輪/東京都港区/BCS賞)
1983年 - 谷村美術館 (新潟県糸魚川市)
1983年 - 宇部興産ビル (現ANAクラウンプラザホテル宇部/山口県宇部市/BCS賞)
※以下も村野の設計だが、没後に完成した。
1985年 - 都ホテル大阪 (現 シェラトン都ホテル大阪/大阪市天王寺区)
1986年 - 京都宝ヶ池プリンスホテル (現 グランドプリンスホテル京都/京都市左京区)
1988年 - 三養荘新館 (静岡県伊豆の国市/1993年増築/BCS賞)
1988年 - 天寿園 瞑想館 (新潟県新潟市)
1988年 - 阿部野橋ターミナルビル(近鉄百貨店/大阪市阿倍野区/現存しない)
1990年 - 横浜プリンスホテル (横浜市磯子区/現存しない)

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