玉の木八十八ケ所巡り
糸魚川市の最西端、県境の集落「玉の木」の裏手に観音山があり、この山に霊場八十八ヶ所があります。普門庵の裏手の急な階段が八十八ヶ所巡りの入口です。
海抜七十メートルの山頂を高野山と呼び、山頂に向かって石仏が八十八体間隔をおいて置かれています
頂上には高野山弘法大師と四国弘法大師の石仏があります
日本海が見下ろせ市振漁港が望めます
海には濃紺色の雲の影ができ、時と共に移り変わる様が印象に残りました。
石仏を一体一体拝みながら登り下りすると2時間程度の行程となります
歴史)
この霊場の創設開祖は上野教道尼(きょうどうに)
十八歳で市振の曹洞宗月照山長円寺の養女となり、廃寺となっていた普門庵(ふもんあん)を起こし、長円寺の末寺として住職となりました
教道尼は高い仏心を持し、西国の霊場を生涯十数度にも及び旅し、近郷の篤志家に寄進を求め明治三十年頃より順次この霊場作りを進めました
明治三十七年頃までには高野山まで達し、遠く西国の霊場巡りをこの地で行うことができるようにしたのです。以後、毎年六月十八日を「観音祭り」とし、この霊場には多くの人が訪れるようになりました。
教道尼は、仏心の深い優れた尼僧を何人も育て、多くの慈善事業をし、身寄りのない子女の養育十余名、日本赤十字社の事業寄付、被災者への救護援助、村人への施しなど数えきれない行いをされています。
生活を切り詰め、托鉢によって得た浄財を全て施しに費やした人生でした。
昭和七年六月十九日、七十八年の生きた菩薩の生涯を閉じました。
弔いの葬儀は新聞にも報道され、今なお語り伝えられています。
毎年6月18日は「観音祭り」が開催されます。「玉の木八十八ケ所巡り」を前に、地元郷土史研究家蛭子健治(故人)先生が名調子で説明されていたことを思い出します。
中村栄美子(故人)さんの紙芝居、糸魚川(いといがわ)・西頸城(にしくびき)の民話 「玉の木の八十八ケ所[市振]」の表紙絵
玉の木八十八ケ所巡りMAP