芭蕉と市振
市振関所跡
糸魚川市の西端市振(いちぶり)は富山県との県境、親不知子不知の険難の地を東方に控え、北陸道に於ける越中との国境の要衝として、寛永(1624~)年代のはじめ江戸幕府は高田城主松平光長に命じて、ここに関所を設け街道行旅の人々を取り締まりました
ここ「市振の関」は、全国53関の中の重要23関のひとつ。
関所は、行旅の人々の検問のための番所と海上監視の遠見番所から成っていました
敷地は、集落の西方、東西に延びる街道を挟み、東西21間、南北95間で、面積は6反6畝15歩
その中に「番所」「上役長屋」「足軽長屋」「遠見番所」「井戸」等があり、また西門に近く「馬ノ足洗井戸」がありました。
関所敷地にあった樹齢250年の榎が市振小学校(平成30年3月31日閉校)の校庭に今もなお残っています。
長円寺境内の芭蕉句碑
「奥の細道」の松尾芭蕉が1689年に一振りに泊まり「一つ家に遊女も寝たり萩と月」の句を残しました
市振(いちぶり)は越後と越中の国境にあり、越後の関所第一番の「振りだし」なので「一ふり」です
句碑は、大正14年4月に糸魚川市出身の文豪相馬御風が市振を訪れた際に建碑計画を聞き、筆をとったもの。
芭蕉が宿泊したと伝えられる桔梗屋は、大正3(1914)年3月17日の市振大火で焼失し、昔を伝える記録等は残されていません。
海道の松(かいどうのまつ)
新潟県糸魚川市大字市振に生育していたクロマツの巨木
北陸道の宿場であった市振集落の東のはずれにそびえ、樹齢は推定約230年
難所として知られる親不知への出入り口の目印として、北陸道を往来する旅人たちに古くから親しまれ市振地区のランドマークでした。
残念かな2016年(平成28年)10月の台風18号の暴風害を受けて倒壊、現在は後継樹を育てています。
国立研究開発法人森林総合研究所林木育種センター(茨城県日立市)が2015年(平成27年)の冬に海道の松の枝を採取しており、原木と同じ遺伝子を持つ後継樹を育てられる可能性があるという。
弘法の井戸
市振町中にある伝説の井戸です。
弘法大師(空海)が市振を訪れた際、水を一杯所望したところ茶屋の婆さんは十数町離れた赤崎のチベタ(冷水)を汲んでさしあげました。
近くに清水が湧き出さないこと知り、足元の土を杖で三度突いたところ、こんこんと水が湧いてきたといいます。
これが弘法の井戸です。
市振マップ