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御前山の信仰・雲台寺

水保から水保川を登りつめること徒歩2時間で市野々(いちのの)に入る
この地は船浦山からの地下水が豊富に沸き出し、地元の酒造会社が湧水として利用している場所
この水が市野々の田畑を潤し水保川に流れ込んでいくのだろう
さらに5分、のぼった集落が御前山(ごぜんやま)集落。 御前山と駒ケ岳

駒ケ岳の前にあるから前山の名か?
近年は過疎化が進み、土地を離れる人が多く、藁葺き屋根の家も次々と倒壊し、冬期以外に別荘として過ごす人がわずか


この台地にある天台宗御前山雲台寺(うんたいじ)は別名「御前山観音堂」と呼ばれ、天台寺門宗本山園城寺(おんじょうじ、滋賀県三井寺)の末寺、
古くから子宝の仏様、縁結びの仏様としてご利益があると信仰され、近郷から多くの信者が集ったという。


ご本尊は十一面観音像で2尺余り、開祖の法道作と伝えられ、脇侍は地蔵尊と毘沙門天
鎌倉時代に北条時頼が訪れ、越後横道三十三観音の一番札所に選定され、江戸期の制作とされる五大明王像もある
春日山城を守っていた堀秀治一門の堀清重が慶長11年根知城から清崎城に移った際、雨乞いのため雲台寺に奉納した黒駒(黒い馬)が描かれた絵馬もあったそうな
鍵のかけられた本堂は静か

牛馬耕が盛んな時代には牛馬の神仏として崇められ、長野県小谷村、富山県の人々も馬を連れてお参りに来ていたそうで
昔は漁師の裸足祭りや農家の牛馬の安全祈願が七月にあり、祭礼時には綺麗に着飾った農耕牛馬の列が御前山に向かい
八月三十一日の夜半から境内はやぐら太鼓の音で盆踊りが行われ、老若男女が境内にあふれ、翌日まで賑わいが続いたという。

祭りの日は朝早くから水保街道を登り、根知、大野、梶屋敷、西海、早川の人たちであふれかえったのだろう
昭和の中頃までは近郷から若い男女が参詣し盆踊りに興じ、男女交際の場として知られた霊場だった。



今は緑に覆われた石畳と朽ちかけた雲台寺観音堂が建っているのみ。


山門の手前に馬頭観音の石仏群、山門には木製の馬像がほこりにまみれて置かれている。

山門をくぐると、左手に大きな岩と手水舎があり、
水は岩の真ん中の青銅製の龍頭の口から流れ、龍頭の長さは1m前後...


というのはいつ頃までの話しだったのか、私も10年ほど前に見た記憶があったのだが
2024/1/1の地震のせいかな?龍頭は落ち、流れ落ちる水は無かった





その脇の岩をくり抜いて安置された阿弥陀三尊仏は、なぜか取り残されたようで寂しそう



もう20年は経つだろうか、観音堂の十一面観音像が盗難された。
鍵のかかっていない本堂に入り込み持ち出したらしく、心無い盗難行為は今をもっても腹立たしい
本堂正面には『ご本尊は旅に出かけられました』と木札が置かれ、いつかまたお戻りになることを願うと穏やかに記されている

観音信仰の篤き皆様へ
観音菩薩の道を求めるものの道場として出来得る限りを尽くして観音堂を護符して参りました
『ある日突然御本尊様(十一面観音菩薩)が脇士等を道づれに巡礼の旅に出かけられました』
警察へは「捜索願」(盗難被害届)を提出しました
観音堂は御本尊様の菩提心につつまれていると信じております
観世音菩薩様の還帰を願いて観音堂をこれからも護持してゆきます  合掌




雲台寺の歴史を物語る鬱蒼とした樹林、緑に囲まれた静寂の中で
しばし往時のにぎわいを想像し、盆踊りの赤い提灯と踊る太鼓の音を思ってみる
栄華盛衰の光景に驚くばかりです。


山門前の石仏も苔むして、地震で倒れてしまったか、2体を抱き起こして立ててみた
管理見守る方が居なくなっているのかも入れない
残雪の残る4月末、雲台寺の春はもう少し先。

さらに登ると海谷渓谷ジオサイトの海谷山峡パーク、海谷渓谷に至る
来海沢(くるみざわ)釜沢(かまさわ)からの県道221号線(上町屋・釜沢・糸魚川線)が整備され、水保街道から登ってくるのは地元の人だけ。



2021年3月4日未明に幅100m、長さ1kmの地滑りが発生し、来海沢地区住家付近まで崩れていることが発覚し、
土砂で県道221号線が寸断され、市野々地区、御前山地区は一時孤立した
幸い地滑りの発見が早く、避難も迅速に行われたため人的被害は無く幸いであった。
この付近の地は、噴出した海底火山の堆積物が表層にあり、脆く崩れやすく土石流が起きやすい地域だという。

【アクセス】
糸魚川駅から車で29分、距離14.7km
県道221号線(県道上町屋・釜沢・糸魚川線)の車両は通行可能。境内前道路脇に駐車スペースあり
さらに登ると海谷渓谷ジオサイトの海谷山峡パークに至る。




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