2012.08.02 天津神社’社宝展’
天津神社の舞楽が国の重要無形民俗文化財に指定された(S55.1.28)のを機に、永く秘められ保存されてきた貴重な文化財を公開し、天津神社社宝展が開催されたのが昭和55年10月23日から11月7日まで。 私はそれを観ていないが、実家の本棚にその冊子が残っていました。 インターネットの生まれる前の資料であり、二度と開催されることがないかもしれぬ社宝展、そして注ぎ込まれた多くのエネルギーから生み出されたこの資料が、このまま眠ってしまうのかと思うと残念になってきました。 作成した糸魚川市教育委員会、ならびに資料提供した天津神社に了解を得て、その抜粋をここに公開し、多くの人の閲覧を望むものです。(2012年7月) 巻頭の“社宝展によせて”に次の言葉があります 「私たちの祖先が永い歴史の歩みの中でつくり、はぐくみ、そして伝え残した多くの文化財に触れ、伝承文化の素晴らしさを再確認するとともに、市民共通の宝としてまもり伝えてほしい」 天津神社の春の大祭は毎年4月10日に行われ、「けんか祭り」と云われる五穀豊穣を予祝する神輿の競り合いから始まる。神輿があがると「稚児の舞」と呼ばれる舞楽が奉納される。 舞楽が伝来したのは平安時代。宮廷儀式として定着し、神社、寺院も盛んにとり入れた。武士が実権を握る鎌倉時代にはやや衰えたものの、室町時代を経て、安土桃山時代豊臣秀吉の庇護により命脈を保ち、以後現在に至るまでその姿をとどめ得た。 舞楽は、舞楽面と呼ばれる特別な仮面をつけ、装束を纏う。 平安貴族の優稚な性格、悠長、みやびな雰囲気を盛り上げるためだろう。 舞楽面で現存するものはすべて日本製で、天津神社には室町時代の舞楽面がある。 また装束は、何度も作り直しをしたと思われるが、天津神社に残るものは江戸時代以降のものである。いずれも豪華絢爛である。 続いて、装束、舞楽面を紹介 後半へSKIP⇒天津神社の歴史(後編) 1)金地金襴振袖と緑地金襴振袖 何に利用された装束かの解説は無い。 地糸の摩耗が部分的にかなりはげしい。立褄(つま)の短いところに初期小袖の面影を留める。 | |
濃緑繻十地八ツ藤丸紋金襴 裏紅絹 振袖形式 江戸時代作 繻(じゅ:うすぎぬ) |
濃緑繻千地菊桐丸紋金襴 裏紅絹 振袖形式 江戸時代作 |
2)振鉾(えんぶ)袍 紅平絹地、桐、巴、蝶の段模様、金糸織り 出し襟及び前立、茶地牡丹唐草紋金襴、袖括り緒、白絹撚り糸 裏紅木綿、留め具角製 江戸時代作 袍(ほう):奈良時代以来の朝廷の服制で束帯の上着。うえきぬ。 3)抜頭(ばとう)袍 経萌黄、緯黄、雲立涌紋綾、袖括り緒、白紫緂平組み 裏紅精好(但し後補)狩衣形式 江戸時代作 抜頭 千早 茶地牡丹唐草文金入錦、背に三巴の円文を金糸駒繍にて表す 裏紅精好(但し後補) 闕腋形式 袷仕立 江戸時代作 経:たていと 緯:よこいと 緂:だんだらに染め分けた糸で組んだり織ったりしたもの 繍:ぬいとり、ししゅう 千早:絹一幅の中央部分に縦の切込みを入れ頭部を通す貫頭衣のようなもの 闕腋(けつてき):若年や武官のものは両脇を縫いふさがず開いていて襴をつけていない。 4)破魔弓(はまゆみ)違ひ袖 身は黄平絹、袷仕立、掛襟付き。 片袖は紅銀市松地文に秋草文様を織り出した唐織。袖括 緒白平打ち(但し後補) 片袖は鉄地大牡丹唐草、宝尽し文緻文、袖括緒、紫平打ち(但し後補)江戸時代作 付属篭手一、緑地蝶飛び文を金糸にて織出す。裏白麻、緒赤丸打ち(但し後補) 破魔弓 千早 身は白繻子地菊文縫取り錦。襟、前立及び袖は茶地唐花文錦。水戸袖との縫目には赤地牡丹唐草文金襴の裂を伏す。 裾縁りは赤地秋草文錦、裏蘇芳精好 闕腋形式 袷仕立 江戸時代作 5)児納蘇利(ちごなそり) 胴服 表、浅葱地桐唐草文錦、前年頃の一部衽、裾廻りは紫縞緬にておぎなう。 裏、水浅葱節絹 振袖形式 江戸時代作 児納蘇利 千早 表、水浅葱色唐草三巴円文緻子 襟、金地円文金襴 裏、金地唐草唐花文錦 前立及び縁、赤地牡丹唐草金襴 闕腋形式 江戸時代作 胴服:どうふく、室町時代頃から小袖の上にかさねて着たうわ着で、後の羽織の原型となる 衽:えり 6)能抜頭(のうばとう) 裲当 表、赤地襦子雪輪宝文金襴 襟、前立、濃緑地菊桐円文金襴 縁、黒襦子 江戸時代作 能抜頭 小袖 白紗綾形綸子、両袖の表には三巴円文を黒編るにて作り、生地にアップリケしている。 両袖裏には茶地牡丹唐草文金襴を附す 江戸時代作 裲当:うちかけ 襦子:はだぎ 7)陵王(りょうおう)袍 表、赤地蜀江文錦 裏、白平絹 裾裏、薄茶地唐花唐草文金襴 闕腋袍形式 袖括緒付き 明治時代作 | |
8)陵王(りょうおう)舞楽面 きわめて薄手の作で製作も古い。 垂れた顎の部分は後補である。 室町時代の作 天津大社の神楽に使われてきたものだが、現在は保存されているのみの貴重な彫刻品である。 | |
9)大納蘇利(おおなそり)舞楽面 左側は室町時代頃の作品 唇に朱、眼に彩色があるが補彩である。 右側は元禄四年(江戸時代)の作品 | |
10)抜頭(ばとう)舞楽面 桃山時代頃の作品 | |
11)能抜頭(のうばとう)舞楽面 江戸時代初期の作品 面鼻の上の顔料が剥落している | |
12)児納蘇利(ちごなそり)舞楽面 二人が同じ面をつけて舞うもので、同作の二面が遺る。 その口辺が顎の肉付けは能面に傚ったもので、やや生硬である。 | |
13)安摩(あま)舞楽面 面長で頬骨や下顎がわずかに張る若い男の面で、額に日本のしわを刻む。 能面の延命冠者に通ずるところもあるが、他に例を見ない珍しい面である。 江戸時代の製作 | 後半へ続く⇒神社の歴史 |