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2012.4.10 けんか祭り

近年は「けんか祭り」として知られているが、糸魚川市一の宮にある天津(あまつ)神社の春大祭(毎年4月10日)は昔から「十日の祭り」と呼ばれ、近郷近在からドッと見物客が押し寄せたものです。
11時頃から躍動の「神輿の競り合い、ぶつけ合い、押し合い」があり、13時からは静謐な「舞楽」の奉納が行われます。
午前の部は「けんか祭り」として、午後の部は稚児(ちご)による舞が多いことから「稚児の舞」と呼ばれます。

今回は招待を受け、拝殿正面の特等席に見物席をいただき、祭りの始まりから最後までを見通す機会に恵まれました。
この光栄を広く伝える意義があると思い、様々な面からこの春大祭をお伝えしたいと思います。
参考文献 天津神社社務所発行 「天津神社・奴奈川神社」
     糸魚川市教育委員会発行 「天津神社社宝展」
     Wikipedia

右写真は、市内各所に貼り出された祭り案内のポスター
市内に貼られたポスター

(行事)
10日は午前零時に一番太鼓を打ち、祭りは始まる。

4:00、神輿堂(みこしどう)から出された二基の神輿は、新町の甚兵衛、甚之丞により舞台に奉安される。

5:30、一の神輿を担ぐ「押上(おしあげ)」地区の若衆が、押上海岸でみそぎを行い、
6:00、二の神輿を担ぐ「寺町(てらまち)」地区の若衆が、寺町海岸で禊を行う。

8:00、衣紋所では、稚児の化粧が始まる
楽屋では笛太鼓が始まる
舞台に奉納される神輿

天津神社の石舞台と楽屋
10:00 押上の使い獅子が参道入口から境内に現れ、
使い獅子あらわる
葉付きの大竹で行く手を払い清めながら、
大竹で払い清める
鶏爺(とりじい、鶏のかぶりものをし露払いの役目)を先頭に若衆が登場。
押上の鶏爺



10:15 押上一同が参道入口から境内に入る。
寺町

河崎さん

田原さん

10:30 神社拝殿で若衆それぞれが柏手を打ち、神おろしの神事が舞台で行われ、
参拝



いよいよ神輿が舞台から担ぎ方に渡される。
神輿が舞台から担ぎ方に渡される
11:00 「お練り(おねり)」(境内円周約200メートル)。
舞台上から見守っていた稚児も大人に肩車されお練りに加わり、
先頭に使い獅子、錫杖、払い竹、鶏爺(寺町)、神職、一の神輿、宮司、役員、鶏爺(押上)、稚児、神職、二の神輿、宮司、役員の順で、ゆっくり春の陽射しの中を練り歩く。

動に転じる前の不気味でもある静の時間。
お練り2


お練り1

お練り3
11:30 神職より榊を受け取り、稚児が舞台に上がったら、「けんか祭り」のはじまり。
神輿を担ぎ境内を走り回り、相手を待ち伏せし、ぶつけ合い、もみあう。
形はぶつけあい壊しあいのように見えるが、
実は御輿をぶつけ合うのには意味があり、男神と女神の神婚、子孫繁栄を意味するらしいと聞くと、どんどんやれと気合も入る。

けんか祭り3


けんか祭り1

けんか祭り2
何度もぶつけあい双方が疲れ切る頃
舞台の上から実行委員長が榊を振ると「お走り(おはしり)」が始まる。

太鼓の調子はドンデンドンに変わりすざましい勢いで走り出す。
お走りの合図



このお走りで勝敗が決し、最後は歓声とともにけんか祭りは終了する。
勝った寺町

勝った押上

12:30 詩歌応答の儀。祭りを行うもの(主として奏楽関係者)と祭りを見に来た観衆との間で、揶揄しあうあるいは「いいね」と、詩歌の交流でやり取りをする風流な遊び。
これはいにしえのフェースブックみたいだ。
短歌あるいは俳句をけんか祭りが終了するまでに献歌すると、舞楽の途中の合間に返歌がいただける。

詩歌は短冊に書かれ木に吊るし、心ある人がこれを見に来る。
詩歌応答


右写真、献歌短冊は稚児の手を借りを奉納される。
詩歌応答受付

詩歌奉納
13:00 舞楽(国指定重要無形民俗文化財に指定されている)の始まり。

稚児が舞う姿に境内は一転して和やかな雰囲気となり、戦いを終えた男衆や観衆の表情がほころぶ。



17:30 舞楽全12曲の最終「陵王の舞」が終わり
押上の鶏爺(女神)は稚児を送り
祭りは終る。
陵王
稚児の舞1

稚児の舞2


(2012.4.10なう)

私の幼い頃は一時限目の授業が済むと学校は終わり、祭り見物に出かけたものですが、今でも小学校は2時限目までで切り上げられるとのこと。地域文化に触れるようにと奨励されています。
近年は新聞、テレビなどのマスコミで取り上げられることが多くなり、カメラを担いだ県外者、観光客が増えています。また、毎年この祭りを機会に集まる同級会もあると聞きました。

午前7時、祭り開催の合図として、花火5発が町内の空に打ち上げられると、街全体が盛り上がってきます。

9時半に天津神社の鳥居をくぐる。昔ながらのにぎやかな出店がたくさん並びます。

時間が過ぎるごとにどんどん人並みが増し、お練りが半ばを過ぎる頃にはいっぱいの人。
今か今かと気持ちが昂ぶり、稚児たちも慌てながら舞台上に戻ります。
そして、歓声が上がり、始まりです。
今年の寺町の鶏爺は同級生の田鹿茂樹さんなので、ついその動きも気になります。

ぶつかりあう神輿を押し合いながらも引き際を図るような駆け引きと間合い、押し合う若衆も機敏に前後入替りお互い力を抜きません。

東西の桟敷席前で繰り広げられた押合いは計8回。双方の神輿はぶつかるごとに破損し部品が放り出されました。

「1万4000人の観衆から、勇壮な伝統行事に大きな歓声が上がった。」と翌日の新聞に報じられました。


詩歌応答。
今年の申込みは58首あったということです。稚拙ながらわたしも参加しました。
献歌しました)
 精霊の宿れる稚児と伝来の林邑楽が巻き起こす春
返歌をいただきました)
 楽の音にうかれて天降る精霊を宿して稚児の巻き起こす春

多くの写真を簡素な年代物のデジカメで撮影する計画でしたが、
わずか5時間で電池切れ。充電だけでは力が出ず、バッテリー交換しないとダメだったみたいです。
ワンタッチカメラを急遽購入しましたが、うまくいかなかったなぁ。
稚児の舞の3つが欠落しました。残念です!

天津神社鳥居

鶏爺

けんか祭り4

まだまだ、記事は続きます

昭和55年1月28日に国指定重要無形民俗文化財に指定される、奉納された舞楽(ぶがく)12曲はつぎのとおり。
「能抜頭」のように珍しい曲を伝えているのをはじめ、稚児舞として多くの曲が舞われているなど独特の伝承を有しています。
1)「振鉾(えんぶ)」 稚児二人
12舞楽の初めに奉納される演目です。
緑と橙の衣装を纏い、天冠を頂き、かぶり鉾を両手で捧げ、二人が同時に舞います。
稚児舞1、えんぶ
稚児舞1、えんぶ
2)「安摩(あま)」 稚児一人
南方伝来の林邑楽とされ、面帽も面も装束も異国風で
手に桴(ばち)を持ち4〜6歳の稚児が舞います。
稚児舞2、あま
稚児舞2、あま
3)「鶏冠(けいかん)」 稚児四人
鶏冠をかぶり、胡蝶を背負い、菊の花を持って舞います。
四人の稚児が花に遊ぶ蝶のように平和で美しい舞です。
稚児舞3、けいかん
稚児舞3、けいかん
4)「抜頭(ばとう)」 大人一人
奈良時代に南方より伝来した林邑楽と云われ、
父の仇の猛獣を探し求め、格闘の末にこれを討ち取り
喜び勇んで山を下る様を表した舞です。
稚児舞4、ばとう
稚児舞4、ばとう
5)「破魔弓(はまゆみ)」 稚児四人
頭に巻纓(けんえい:木製黒漆塗りの切れ込みを入れた木片の冠)老懸(おいかけ:馬の毛をブラシのように束ねて扇形に開いた用途不明の飾り)の冠を付け、手には弓を持ち、太刀を方から斜めに掛け、悪魔退治をするという舞です。
この写真は2014年4月に撮影。

稚児舞5、はまゆみ
稚児舞5、はまゆみ
6)「児納蘇利(ちごなそり)」 稚児二人
稚児による納蘇利舞(二匹の龍が戯れる様を表したもの)で、
面の表情は童子らしくやさしく、丸顔の面帽子もおもしろく、振り袖姿も優美な舞です。
この写真は2014年4月に撮影。

稚児舞6、ちごなそり
稚児舞6、ちごなそり
7)「能抜頭(のうばとう)」 大人一人
天津神社独特の舞で、腹を膨らませ、能楽の翁面ににた面を付けます。
尖がり帽子と白の小袖に巴を付けているところなど、すがすがしい装束です。
この写真は2014年4月に撮影。<

稚児舞7、のうばとう
稚児舞7、のうばとう
8)「華籠(けこ)」 稚児四人
天津神社独特の舞で、四人の美しい装束の稚児が籠に盛った花を巻きながら舞います。
稚児舞8、けこ
稚児舞8、けこ
9)「大納曽利(おおなそり)」 大人二人
朝鮮伝来の高句楽の舞のひとつとされ、双竜舞ともいい、
恐ろしい面に桴(ばち)を持って、二つの龍が楽しげにはねる有様を表している舞です。
稚児舞9、おおなそり
稚児舞9、おおなそり
10)「太平楽(たいへいらく)」 稚児四人
優美で可憐な武人の装束で舞い、その名のとおり、乱世を治め、正しい道に直すという意味を表すおめでたい舞です。
鉾・太刀を振って豪壮雄大に舞います。
稚児舞10、たいへいらく
稚児舞10、たいへいらく
11)「久宝楽(きゅうほうらく)」 稚児二人
太平楽と同じ装束を纏い、太刀と楯を持って舞います。
南方伝来の林邑八楽のひとつで、奈良時代に渡来し大阪市天王寺に伝えられたという、平和で穏やかな世であるよう祈る舞です。
稚児舞11、きゅうほうらく
稚児舞11、きゅうほうらく
12)「陵王(りょうおう)」 大人一人
昔、中国の蘭陵王が恐ろしい面を付けて陣頭に立ち、敵を勇壮に打ち破った様をかたどった舞です。
赤地金襴の面帽子に竜頭、吊り顎の面をつけ、豪壮な装束に緋房のついた細い金色の桴(ばち)を持ち、落日に舞います。

4月10日の午後は新衣装、4月11日の午後は昔ながらの旧衣装で稚児の舞が行われます。
日焼けするほど暑かった10日ですが、11日は雨風強く残念ながら、今年の「稚児の舞」は中止になりました。
稚児舞12、りょうおう
稚児舞12、りょうおう
(補足雑学)

・けんか祭りの主役は寺町地区と押上地区
ふたつの地区が、毎年一の神輿と二の神輿の役割を入れ替えます。

・使い獅子
地元では「じょば」というが獅子頭を被った厄払いの獅子のことで、神事の斥候のような役目を果たします。
「除摩(じょま)」の名残ではないかと思われます。
幼児の頭をがっぽりとかぶせてもらうことで、無病息災になるといわれています。
当の幼児は、ワンワンと泣き出しますが、この風景はいつもながら微笑ましく見ることができます。
じょば
じょば

・鶏爺(とりじい)
鶏爺は露払い役(神輿を先導する役目を持つ長)です。
鶏のかぶりものに赤い面をつけ、赤絹の小袖・タッツケで大小刀を差します。
それぞれを男神、女神といい、男神(つねに寺町が担当)は茶褐色のかつらを付け女面を、男神(つねに押上が担当)は黒色のかつらを付け女面をつけます。
それぞれが面を逆につけている伝説として、昔それぞれの面を違えたまま祭りを行ったところ五穀豊穣・豊漁となりました。
しかし翌年、正しい面をつけて祭りを行ったところ凶作不漁となっってしまったそうです。
以来、男神は女面、女神は男面と、違えたままになったといわれています。
ちなみに男面は口を固く結び、女面は舌を出しています。
鶏爺はけんか祭りが終了するまで、皆を先導する意味で、榊を高く持ち上げ手を下げることを禁じられています。

鶏爺

・お走りの勝敗は如何に
拝殿裏(北側)と舞台楽屋裏(南側)を通過する長円トラック200メートルを時計回りに走り回るけんか祭りですが、最後は位置についてヨーイドンです。
一の神輿が東側、二の神輿が西側に位置し、合図とともに走り出し、一の神輿が3/4周、二の神輿が5/4周走ります。
ゴールは舞台楽屋裏(南側)の神輿置き台に担ぎ上げるまでです。
「一の神輿が南東角を回るまでに、北東側に回り込んできた二の神輿に見られたら一の神輿の負け」という鬼ごっこのようなルール。
押上地区が勝てば豊漁となり、寺町地区が勝てば豊作になるといわれています。
一気に走り終え、神輿を片づけるや否や、双方は桟敷席に登り込み、
「勝ったぁ、勝ったぁ、また勝ったぁ」と騒ぎ出します。
一の神輿は見つけられなかったと云いはり、二の神輿はしっかり見たと云いはる。
それぞれが「勝ったぁ、勝ったぁ」と叫びあいます。
双方が勝ち、お互いが豊漁豊作になるということらしいのです。
押上地区桟敷席

寺町地区桟敷席

・稚児(地元では「おちごさん」と呼びます)
この日、お稚児さんは地面に両足をつけることが許されません。
古来より日本では神や精霊が子供の姿をしているという観念が少なからずあり、子供が依代や奉仕者でもあるということで子供自身が信仰の対象となることもありました。
子供というのは世の穢れが満ちていない清らかな魂の持ち主とされ、神霊が宿る、または神霊そのものでもありました。
そのような観点から、お稚児さんは清らかな魂を保持するために大人の肩車にのって移動・舞台入りをしたり、舞が終わるまで地面に両足をつかないように穢れを避けます。
稚児

・詩歌応答について
天津神社の春大祭では、舞楽奉納(国指定重要無形民俗文化財)の合間に行われている詩歌応答(詩歌連俳贈答)があります。
世話人代表の一人、赤野光夫さんによると、詩歌応答の起源は「天津神社並びに奴奈川神社社記」の記述から江戸時代初期ごろと推定されるといいます。また当初は詩歌の形態ではなく、主に楽屋にいる奏楽関係者と祭りの見物人が文で揶揄(やゆ)し合う中で、短歌や俳句に心得のある関係者が一首一句を返したことから賦詠になっていったと想像されています。
即詠即答のおもしろさを存分に楽しんでいたことがしのばれ、非常に豊かな遊び心によって生まれた極めて貴重な独特の形態です。
現存する記録(舞楽差定:ぶがくさじょう)によると、詩歌応答は明治二十二年から相馬御風の死去した昭和二十五年まで続いた。翌年から二十六年間中断したのち昭和五十二年、相馬御風の流れをくむ短歌会「木かげ」により復活したが、平成十八年に同会から継続できないとの申し出があった。
そのため新たな活動母体として短歌愛好者ら有志で「詩歌応答研究会」を立ち上げ、同研究会の代表二人が舞楽会に入ることで再度復活し、今後の継続を図ることになったといい、継承活動に取り組んでいます。現在会員数は五十名です。
「今後は市民に広く理解して頂き、全国に例を見ないこのよき民族芸能文化を長く継承していきたい。」と赤野さんは話されています。


・舞楽と稚児(稚児舞)
平安時代に完成をみた雅楽は、その後地方の寺社を通じて各地に伝えられ、北陸地方には稚児舞楽として伝承されてきているものが多い。
天津神社舞楽の2週間後に行われる、糸魚川市能生の白山神社舞楽も稚児舞である。
演技、演奏法に中央の神楽とは違ったものもみられるなど、史的に貴重なものとされ、いずれも国指定重要無形民俗文化財となっている。
稚児(稚児舞)は、小学生位の少年数名が平安時代風の白塗りの厚化粧(眉を剃るか鬢付け油で塗りつぶす(引眉))をして艶麗な装束で舞う典雅で可憐な舞である。
舞楽の流れを汲み、曲名も舞楽と共通のものが多いが、曲調や楽器編成は雅楽の傾向から離れ、里神楽に近い。



春祭りには、「うぐいす餅」(きなこをまぶした草餅)ですね
うぐいす餅

地元小学生の作った日本海「梅干し」。神輿の担ぎ手の塩分補給用です。
梅干し

鶏爺のお役目、お疲れ様でした。頑張りましたね。
稚児

東京糸魚川会の方々とご一緒できました。
東京糸魚川会


(歴史)
・天津神社と奴奈川神社
後日掲載



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