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2016.6.26 玉の木八十八ケ所巡り

6月26日(日)市振(いちぶり)地区公民館主催の「玉の木八十八ケ所巡り」が行われました。
糸魚川市の最西端、県境の集落「玉の木」の裏手に観音山があり、この山に霊場八十八ヶ所があります。
海抜七十メートルの山頂を高野山と呼び、山頂に向かって石仏が八十八体間隔をおいて置かれてます。
これらの石仏を一体一体眺め拝みながら、登り下りすると、2時間程度で歩くことができます。

頂上の高野山からは、日本海が見下ろせ、現在の市振漁港がはっきりと見渡せました。
梅雨空の束の間、強い日差しで日本海に濃紺色の雲の影ができ、時と共に移り変わる様が印象的でした。
下山後、市振地区公民館の豚汁のおもてなしも嬉しく、13時過ぎに解散しました。

歴史)
この霊場の創設開祖は上野教道尼(きょうどうに)。
十八歳で市振の曹洞宗月照山長円寺の養女となり、廃寺となっていた普門庵(ふもんあん)を起こし、長円寺の末寺として住職となりました。
教道尼は高い仏心を持し、西国の霊場を生涯十数度にも及び旅し、近郷の篤志家に寄進を求め明治三十年頃より順次この霊場作りを進めました。
明治三十七年頃までには高野山まで達し、遠く西国の霊場巡りをこの地で行うことができるようにしたのです。以後、毎年六月十八日を「観音祭り」とし、この霊場には多くの人が訪れるようになりました。
教道尼は、仏心の深い優れた尼僧を何人も育て、多くの慈善事業をし、身寄りのない子女の養育十余名、日本赤十字社の事業寄付、被災者への救護援助、村人への施しなど数えきれない行いをされています。
生活を切り詰め、托鉢によって得た浄財を全て施しに費やした人生でした。
昭和七年六月十九日、七十八年の生きた菩薩の生涯を閉じました。
弔いの葬儀は新聞にも報道され、今なお語り伝えられています。

参考)
→糸魚川(いといがわ)・西頸城(にしくびき)の民話 「玉の木の八十八ケ所[市振]」























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